在宅勤務中、16時過ぎにネットワークがダウンした。原因は宅内の機器の不具合かと思い、ルーターを何度かリセットしてもつながらず。キャリア側の故障であることがHPで確認できた。しばらく待っても回復しないので、電話でできることはやって、きっかり定時で“店じまい”した。業務的にはまだまだやることがあったけどしようがない。
夫からは20時頃帰ると連絡があった。夕食は20分もあれば準備できるから、2時間ほど、ぽっかりと時間ができた。
涼しくなったし、お散歩に行こうかな。いや、戸締りが面倒くさいな、などと思いながら窓の外を眺める。日が暮れるのが早くなった。夏の名残のツクツクボウシが近くで鳴いているのが、どこかもの悲しい。
セミのほかには声も音も無く、暮れていく庭に目をやったままソファーに身を投げだしていた。ふいに、目を開けて息をしているだけの「今」に、なんと言おうか、“満たされている感”がわいた。
努力、熱意、成長、達成、責任、見栄や強がり・・・熱に浮かされたような私の一時代が終わろうとしているのかな。
コロナ禍のおかげで、私のこれまでの「あたりまえ」があたりまえで無かったことに気づくことができた。何の気なしに書き始めたブログのおかげで、ちょっと立ち止まってみることもできた。鈍感が幸いし、ここまで特段の後悔も不満もない。この先、あれしなきゃ、これしなきゃと焦る気持ちも湧いてこない。
妙に落ち着いて、それでいて何か楽しみを待つような気分に浸った、夏の終わりの夕暮れだった。
ちょっと年寄りくさい?