かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

子どもが好きか?

子どもが好きか?と問われたらなんと答えようか。幸いにも(?)そう私に問うてくる人はいないが。

 

Mちゃん(約60歳)はボランティアで子どもたちのためのフエルト人形を作ったり音楽を通して子どもたちと触れ合っている。「あたし、子どもがだぁ〜い好きだからぁ」と満ち足りた笑顔。
Tちゃん(約50歳)は「わたし、子ども嫌いだったんですけど、妊娠したら子ども好きになったんです」。で、学童保育に関わるお仕事を続けているそうだ。

「子どもが好き」って、どういうことなんだろ。
見ているだけで癒される? 可愛い? 楽しい? 総じて幸せな気持ちになるってことかな。じゃあ、この「幸せ」って? 慈愛の心による自己肯定感? 人類への貢献感? 未来への希望?


ちょっと前、Xで見かけた記事(元ネタははてなブログだったかも)が心に刺さっている。自分の子どもがいないと未来の時間は自分が死ぬまでの時間でしかない、と。
「子ども好き」と自認するMちゃん、Tちゃん(どちらも2人のお子さんのお母さん)は自分の子どもの未来と一緒に全ての子どもの未来に想いを馳せながら善き行いをしているのだろう。
一方で私は子どもを持ったことがない上に、元来利己的な人間だからなのか、昨今の政治や環境問題、国際問題を見るにつけて「日本よ、あと50年もってくれ」と思う。


たぶん、いや、”確実に”私は「子ども好き」ではない。子どもを見るたびに微笑むようなことはないし、ましてや泣いている子どもを見ると「子どもに生まれなくてホントよかったわ」と密かに毒づく。ヒトの子どもより、小鳥や仔犬やイルカたちのほうに愛おしさを感じて頬が緩む。


そんな私だが、20数年前、私にとって初めての甥っ子が誕生したとき、明らかにそのへんを走り回っている子どもに対する感情とは異なる、何か今まで感じたことのないものが胸に広がった。もしかして私はコイツに「愛情」を感じているんじゃないか?とその時思った。そして「これが血のつながりというものか!!」と。
甥っ子の顔は私に似ている。実の母親(私の義妹)を差し置いて親子のように似ている。甥っ子のことを思うと、「日本よ、更に50年ばかし平和で穏やかな国であってくれ」と願う。甥っ子の子や孫を考えると、もう100年、もう200年・・・。

 

甥っ子はとうに成人して、もう子どもじゃないけど、私の「未来の時間」がこの甥っ子によってちょっと先まで伸びたってことだなあ。

 

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