この感情はナンなのか、怒りなのか、なぜ怒りを感じるのか。逆に、このソワソワした胸の高鳴りはナンだろう、いったいなぜ浮かれているのか、何に価値を感じているのだろう。などと、自分の感情の出所や理由が気になってしょうがない時がある。
その朝は気温2℃。私はいつものバスに乗ろうとバス停に立っていた。が、定刻を過ぎてもバスは来ない。郊外過ぎてデメリットも多い住宅地に住んでいるのだが、最寄りバス停が始発地から3つ目の停留所であるというメリット、つまり必ず座れるし、時刻表通りにバスがやってくるというメリットはありがたく享受している。
「へー、遅れるとは珍しい。ま、もうすぐ来るでしょ。」・・・ところが、来ない。アプリをみると2停前を過ぎたことになっている。更に次のバスが来る時刻になったけど、まだ来ない。2台分のバスを待つ人たち(といっても4-5人)が「来ませんねえ」などと声をかけ合ったり、お仕事関係だろう、遅れますと電話連絡をしている。私も上司に「いつになるかわかりません」とチャットした。
結局、45分ほど遅れてバスはやってきた。事故渋滞だったらしい。
不思議だったのは、寒い中、状況もつかめないまま、いつ来るともしれないバスをじーっと立って待つ間、私が始終穏やかな気持ちであったことだ。それに45分間は案外早く過ぎた。いつもの私だったらイラついて、バス会社を呪い倒す呪文を飲み込みつつ、眉間に皺を寄せ口角を限界まで引き下げ不機嫌オーラをごうごうと放出していたと思う。
この45分間を考察したい。
出席を予定していた会議に私がいなくても誰も困らない。嘱託社員ならではの責任の薄さゆえの落ち着き?待っていればそのうち来てくれるだろうという無我の境地?運転手さんも焦っているかも。安全運転よろしくといった共感と祈り?達観?無欲?実は寝ていた?白昼夢?・・・
もしかしたら、一緒にバスを待っていた人どうしのささやかな会話のおかげ?不安になりそうな時でも周りの人が苛立ちもせず穏やかだったから、自分もほっこりと心に温かさを保つことができたのかもしれない。
温かさと言えば・・・・。その日私は厚手のロングコートを着ていた。ここ何年も冬はツルッとした生地のトレンチコートで過ごしてきたが、たまにはクリーニングにも出したいと思って引っ張り出した、ちょっと大仰なコート。玄関を出て歩き出した時には「しまった。厚手過ぎたかな」と思ったのだが、ウールの温かさにくるまれて体も気持ちの温かさも冷えずに済んだってことかも。
「衣食足りて礼節を知る」ならぬ「防寒足りて礼節を知る」だったんだなー。
以上で考察を終えます。