かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

祈ること、縋ること

昔の記憶だからあやふやだけど、外国に入国する時に氏名とか書く紙(今もあるのかしら?)に宗教という項目があったように思う。海外では「無宗教」はブキミな人とおもわれるので「Buddhist(仏教徒)」と書くのが無難、と何かで読んで、無宗教無神論との違いとか難しいニュアンスだと思いながらも専らBuddhistと書いていたと思う。

 

今も書くとすればBuddhistと書く。父のお葬式はお寺のお坊さんにお経をあげてもらい、実家を訪ねると仏壇に手を合わせる。だが胸を張って仏教徒でございますとは言いがたい。般若心経は「色即是空 空即是色」しか知らない。初詣は神社へ行きクリスマスにはそれっぽい夕ごはんを用意する。たぶんそんな人、周りに少なくないと思うが。

 

そんな私。宗教を信仰しているとは言えないし「宗教」とは性質が異なるものだと思うが、確かに何かに祈っている。時には目をつぶり胸の前で手を合わせて。祈らない日はない。

朝、仕事に出て行く夫くんの車のお尻を見送りながら。親や弟たち、いとこ姉妹を思い浮かべながら。被災地の様子に衝撃を感じながら。スズメさんやシジュウカラさんを愛でながら。無事に幸せでいてほしいと願い、祈る。

 

いったいどこの誰に?たぶんその「誰か」もしくは「何か」のことを私は「カミサマ」と呼んでいる。特にお釈迦さまとか唯一神をイメージしているわけではない。もしかしたら、身の回りに800万も御坐します「やおよろずの神」のイメージに近い。または、千の風になって吹きわたっているご先祖さまたちか。

 

私の「カミサマ」の正体はわからないが、この瞬間までのすべてのことへの感謝や、大切な人たちをヨロシクという思いを伝える。人としてちゃんと生きていきますから、なにとぞ、なにとぞ・・と。私自身の良心とか愛とか善良な部分のどこかでそんな存在をイメージしているのかもしれない。

 

だが、本当のピンチの時は、明らかに自分の外側に向けて、天を仰いて全知全能の何者かにすがるだろう。神さま、とにかく助けて、と。