かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

命のロウソク

両親はここから車で45分程のところの賃貸マンションに2人で住んでいる。母は85歳、ぴんぴんしている。父は”よぼよぼ”ながらも昨年11月にめでたく米寿(88歳)を迎えた。


父は昔から不器用で温厚、家庭で見ている限り野心や功名心はなく、仕事も趣味も人づきあいも家族に対しても、静かに淡々と、しかし楽しそうに日々を過ごしてきた人だ。昔の写真をみると、その時代の人にしては背も高くがっちりとした体格をしてる。
すっかり年老いた今、腰は曲がって常に前傾姿勢。座っているときは、覗き込まないと寝ているのか起きているのかもわからない。家の中を歩くこともおぼつかなくなっている。


先日の母の日に訪ねたら父ひとりでお留守番しており、玄関までお出迎えしてくれた。「どちらさまですか?」という言葉に、すわ、認知症が進んで娘の顔がわからなくなったのかとヒヤリとしたが、単なる玄関先での常套句だったようでほっとした。が、その姿は、ようやっと立っていられるというものだった。

ヒトの「老い」を見ているんだなと思う。
あんなに毎日の散歩が好きだったのに、もう一人で出歩くことはない。あんなに本を読むことが好きだったのに、視力も落ちて、もう本を手にすることもない。この頃は眠っている時間が増えているらしい。

老いて衰えるとはこういうことなのかな。だんだんと融けて小さくなっていくロウソクの灯火のよう。
父の場合、途中で強い風に煽られて消えることもなく、ただ静かに燃え尽きる
そのときに向かっているんだなあと思う。

口に出して言えないけど、父に尋ねてみたい。毎日、穏やかに幸せを感じてますか?楽しいひとときはありますか?

 

父は少し認知症のせいか、すっかり表情に乏しくなり、ほとんど笑顔を見せない。だけど先日、「もうすぐ私、60歳だよ〜、還暦だよ〜」と言った時は、いっぺんに破顔して昔通りの笑顔を見せた。僕もトシをとるはずだよ、あの小さかったあんたが還暦だって?!と喜んでくれている笑顔だった。

 

健康オタクとも言える母がつくる栄養たっぷりの食事を、父は美味しいと言ってちゃんと食べているらしく本人曰く「食欲もあって体調は良い」。それを聞いて、ほっとする。そして、まだまだ父の命のロウソクの灯が穏やかにともり続けてほしいと祈る。

 

 

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そんな時節柄

にわかにLINEグループやFacebookで「還暦おめでとう〜」のお祝いメッセージが飛び交い始めた。
高校、大学の同級生たち、その多くが今年4月以降に60歳を迎えるのだから、さもありなん。

 

大学時代の部活メンバーとのLINEも4/2生まれのFくんへのお祝いに続くは「定年退職いつ?」「いつまで働く?」「オレ、子供が高校生だから、65まで」などのやりとり。


先日、久しぶりに高校の同級生3人と女子会ランチした時も「還暦ハワイ、行けそうにないね」「代わりに神社でお祓いでもする?」だの「年金定期便見た?馬車馬のように働いてきたけど年金って少ないよね」「更に減るかもね」だの、この年齢ならではの話題であった。以前だったら「美の追求(主にダイエット)とグルメ」にかかわる話題が多かったのに。

 

彼女たちは(暗に「自分も」)ちっとも老けてない(と、思う)。みんな、年齢の割には若い(と、思う)。

”高校の時からちっとも変わっていない”は激しく言い過ぎ(明らかに誤謬)であるが、それぞれの生活が落ち着いた40代半ばからちょくちょく会っているから目が慣れてしまっているのかもしれない。それぞれ老眼鏡や白髪染めのお世話にはなっているものの、極端に痩せたり太ったりの変化もないし、服や髪型などの雰囲気もそのままだ。職場では若者たちに混じって、時には年齢の差も忘れてエネルギッシュに働いている事だろう。

 

ところが・・・。
その後のある日、今も郷里にいる高校の同級生の女子3人男子2人で還暦祝いしたよ〜というFacebookの投稿があった。非常にめでたい。が、長寿お祝い着、すなわち真っ赤な帽子とちゃんちゃんこを身に纏い、白扇子を持ったその姿は、何というか、ショッキングなものだった。

 

彼ら・彼女らはどう見ても「おじいちゃん」と「おばあちゃん」だった(実際、お孫さんからの呼称はそういったものであろうが)。ああ!これが60歳の姿なのだ、老人なのだ!私も同じなのだ!
老人、は言い過ぎ(老人、前期高齢者は65歳〜)かもしれないが、ちゃんちゃんこの赤が「自らを客観視せよ!」とグサリと目に刺さってきた。

 

とは言え・・・。
女子会での肉やパスタやデザートを元気に頬張る、その旺盛な食欲や止まらないおしゃべり、黄色い笑い声を思い出して「あ、やっぱりまだまだ若いワ」とかぶりを振って、自分に言い聞かせたのであった。

 

そもそも「まだまだ」などと「若い」を修飾する時点で、かなり若くないのだが、気にしないでおこう。

還暦目前、未だに揺れる

一昨日、仕事から戻った夫くんが、顔を合わせるなり「柳生博さんって85歳だったんだって!」とのたまった。会社帰りのカーラジオかなにかで、柳生さんが老衰でご逝去されたというニュースを耳にしたらしい。
「あと25年ちょっとしかないよ!!」と、急に現実の我が身のことに思いが至ったようだ。

そうだよ、そうなんだよ。85歳でかっきり老衰で死んでしまわないとしても、きっと体は自由に動かなくなってるよ。
だから言ったじゃない、いつまで働くつもり?って。働いているヒマないんじゃないか?って。元気なうちに、一緒にいろいろ楽しいことやろうよ、って。

25年・・・。今から25年前は35歳。夜中まで仕事したり、会社関係でしょっちゅうお酒飲んでたり、それでいて海外旅行にも行ったりして。体力あったなあと思う。ついこの前のことみたいだけど、25年はあっという間に過ぎたんだ。次の25年はもっと早く過ぎていくに違いない。

夫くんは、当たり前のように、65歳まで今の職場で働けるなら働くよ、と常々言ってきた。でも、この頃少し迷いが生じたみたいだ。それで柳生さんの訃報に反応したのだろう。

かく言う私。来年3月に訪れる定年、そのあと、嘱託社員としてもう1年間だけ働くつもりでいる。が、夫くんにはオラオラどーするつもりなのよーと言うものの、この期に及んでどうしたものかと未だ揺れる日々。

85歳まで(何もわざわざここで区切ることもないのだが)あとたったの25年と思うと、そのうちの1年が急に貴重に思えてくる。
働いている段ではない? いや、老後の資金を考えたら・・・。でも・・・。しかし・・・。

(そして時間は過ぎていく・・・)。

 

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(すでにこの1年、ムダにした感あるなあ)。

 

定年まであと1周。電池残量が気になる。

これまた、ぼーっとしているうちに桜も咲いて散って、会社員としては新年度になってしまった。それも私にとっては定年前の最後の1年なのである。

 

30何年もの間、○○株式会社の社員という名札をつけて膨大な時間を過ごしてきたが、それもあと1年かあ。この頃、年金ナントカの積立が終了しますけど、どーします?というような郵便物が届いたり、会社の人事部門からも退職に関わるメールがきたりして「そっかあ・・・」と思った。昨日は、夫くんと話している時に「ボーナスもらえるのも、あと2回だよ」と言われて「えええ!?」と驚いた自分に驚いた。そんな今日この頃。

 

今朝はなぜか4時に目覚めた。久しぶりにブログのアプリを開いて皆さま方の投稿を見て心が震えた。ブログってほんとにすてきだ。人の心が文字になって綴られるってすごい。

 

ということもあって、朝のバスの中でスマホを取り出して、1ヶ月ぶりのブログ書きに着手して気づいた。スマホの電池残量が半分を切っている!やだ、充電されてない!

残量半分切っている・・・。私の人生の残量を象徴しているみたいだなあ(人生100年間という楽天的な前提であるが)。何かの啓示か?

 

(そうこうしているうちに、残量は更に減ってしまった。電池はあとどれくらいもつのか?出張なのに。不安だ!)

お風呂上がりのユースキン

我が家の保湿用クリームはユースキン製薬のユースキンである。黄色く油っぽいベタベタのテクスチャーで、いい香りもしない。

が、夜、手に塗って寝ると翌日1日中しっとり感が続く(夫くん談)。この持続性はユースキンならではの効果なのだ(夫くん強調)。

 

確かに素晴らしい効果である。12月、私は踵がカサカサをはるかに超えてガサガサバリバリになっていることに気づいて、毎日、お風呂上がりにユースキンを塗った。

1ヶ月ほど経つと、つるりと柔らかさが戻った。踵がまるで手のひら並みの柔らかさに甦ったのだ。

 

私は、目の周りにも塗ってみた。乾燥、ちりめん皺、そして弛み、と悩み多き我が目元。

甦れ!しっとり且つハリのある肌へ!

 

・・・既に2ヶ月以上経過しているが、硬い皮膚に対してあれほどの効果を発揮するユースキンをもってしても、目元の加齢には抗えないみたいだ。

 

適材適所って熟語があったっけ。

この場合は適剤適所、かな。

悲しくて恐ろしい

ロシアのウクライナ侵攻。今、この瞬間にも、本物の「戦争」が行われているなんて、信じられない。身勝手な論理で、人が人の命を奪っているなんて。

 

「死にたくない」という子供の涙、幼子を抱いて離れ離れになった夫を思う若い母親の姿・・・悲しく、体が震えるほど恐ろしい。

市街地の道路を数人の男性が小走りで渡っている。建物の窓から見下ろした映像の中で、「兵士たち」と言われていたけれどヘルメットは無く、一瞬のその姿があまりにも普通の日常的な一コマにも見えて胸が苦しくなった。数日前まで暖かい部屋で家族と談笑していた優しい市民、その人たちのはずだ。だけど、彼らは今・・・。

 

私には憤る熱量や勇気がない。何かできることがあるのかどうかもわからない。ただ、日本の片隅で怯えている。私には祈ることしかできない。早く戦争が終わって、両国の人びとに安全で心安らぐ家族との日常が戻ってきますようにと願う。

夫くん、元気にご活躍

夫は技術者である。30数年勤めた会社をちょっと早めに退職して、現在は再就職先で嘱託社員として毎日フルタイムで働いている。

もといた会社でやってきた専門技術を活かした再就職なので、本人もまずまず納得している様子だ。日々、外部からのお客様をお迎えして技術的なサポートをやっている(?らしい)。

 

ときどき、元気にお仕事してるかなあと思って「今日のお仕事、どーだったあ?」と聞いてみたりする。企業機密的に当たり障りのない話に混じって、先日は「トイレのペーパータオルが無くなりそうだったので補充した」とのこと。よくある事らしい。更に「ときどき石鹸液が無いときは入れてるよ」と。

 

トイレの掃除や備品の補充をやってくださる業者さんはいらっしゃるらしい。が、夫はトイレに行ったとき、ペーパータオルや石鹸液の残量が少ないことに気づいて(家でもそうするように)、保管場所から予備を出してセットしているんだろうなあ。忙しくても、いつものように、次に使う人のことを思って、ごく自然にそうしているんだろうなあ。

「偉いなあ」と感心すると「たかが紙、されど紙さ」。トイレのペーパータオルがちゃんと補充されていることはお客さまからの信頼につながる、と考えているらしい。

 

うーむ。夫は歴史に名を刻むでもなく、お家柄がよろしいわけでもなく、社会的な地位が高いわけでもない。でも、ひとりひっそり黙々と(家でもそうだけど)doing small things。こんなとこ、実はとっても尊敬している。

 

アドラー心理学のことを思い出した。「ゴミが落ちていたら拾ってゴミ箱に捨てるのが正しいとわかっていても、賞罰教育を受けて承認欲求を持つようになった子供は、拾ったところで誰にもほめられないのなら、拾わなくてもいいと思ってしまう」。私自身は、ともするとパフォーマンスやりがちなこっちの人間だなあと思う。

 

ちなみに夫は、朝からお客さまのお昼のお弁当の注文もとるそうだ。「これ、大事」と言っていた。専門と違った分野でも、いろいろ元気に活躍してるなあ。

でも、どんなにイイ事をしていても褒めてはならないのだ。アドラー先生によると。

 

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