「ディスタンクシオン」はフランスの社会学者ピエール・ブルデューが書いた本、大著にして名著。単語としてはフランス語で「区別」を意味するらしい。たまたまNHKの「100分de名著」のブルデューの最終回の最後の10数分を目にして、面白そうだったのでその名著を買おうと思ったらあまりに高価で、内容も難解だということがわかったので、同番組のテキストを買った。
薄っぺらいテキスト(実はKindleだが)でも、余りある衝撃だった。ディスタンクシオン(のテキスト)には、私の深いところに隠してあった劣等感をえぐり出すような感覚があった。
ざっと言うと、自由に選択していると思っている趣味、例えばクラッシック音楽が好きかどうかも家庭環境で決まるというもの。
私たちの行動のさまざまな傾向性をハビトゥスと呼んでいるが、同じクラッシックを聴く趣味でもブルジョワの家庭で自然に身についたハビトゥスと、学校で教えられ自ら努力して身につけたそれは異なるそうだ。前者はドビュッシーなどを好み、空気のように自然でのびのび振る舞い、後者はバッハで、より努力や勤勉さが必要な、禁欲的な文化表現を好むそうだ。
絵を見てその美しさがわかるかどうか、音楽を聴いてその美しさがわかるかどうか。ブルデューはそうした美を受容する能力を含めて、文化資本という名前を付けて、そこにも違いがあると。
私が、美術館好きなのよね〜だの、クラッシック聴きにいってきたもんね〜だの言っても、大人になって自らの努力や意思によってそう振る舞っているだけで、やっぱりお里が知れちゃうってことだったのね。
社会学、恐るべし。
ただ・・・本を読むのが好きだったり兄弟そろって理系なのは、家にあった分厚い子ども用の科学の百科事典や、カラフルな絵が楽しかった大判の自然科学の絵本、それと毎月の学研の「科学」が少なからず影響しているのかなあと思う。
うちの両親は教育不熱心だったけど、幼い私たちに与えられた本によって、図らずもなにかしらの思いや、それこそ「ハビトゥス」なるものが伝わっていたのかもしれない。