かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

マツダ ファミリアとキャラメルコーン

父はものすごく不器用で、運転免許の教習所に通っている時もかなり苦労しているように見えた。ハンドルをくるくるくるっと回す動作がよほど出来なかったと見えて、クッキーが入っていた丸い空き缶をひっくり返し、真ん中の1点に釘を打って短い角材の先端に緩く留めて、くるくるまわるステアリングとステアリング・シャフトに見立てて練習していた。

 

そんな危なっかしい運転だったが、家族5人のファミリーカーとして、後にも先にも唯一の車、マツダファミリアの2代目モデル、レシプロエンジンが乗った白い中古車を購入した。母は「お父さんの運転は下手くそでコワイ」とぼやきながらも、一家で近くの観光地や温泉地などに小旅行に出かけた。

当時住んでいたのが、海べりに点在する町のひとつだったので、どこへ行くにも、ところどころが砂利道だったり離合(これは方言らしい。狭い道ですれ違うこと)できなかったりする海沿いのワインディングロードか山越えのワインディングロードをパスしなければならなかった。ステアリングさばきに自信のない人に命を預け、「死なばもろとも」の勢いで出かけていた(家族の絆ってすごい)。

 

私はいつも後部座席にいて、外を眺めたりカーラジオの音を聞いたり、もしかしたら弟とシリトリなどしていたかも知れない。が、唯一と言っていいほど覚えているのは「キャラメルコーン」を食べていたことだ。

 

東鳩キャラメルコーンは1971年から製造販売しているらしい。我が家が車を所有していたのは1972年〜1974年のはずだから、私たちは発売間もない先進的なお菓子を食べていたのだ。いつも食べていたおやつ(母が作るお芋の蒸しまんじゅうとか、おせんべいやおこしなど)と比べると、それはとんでもなく甘く、塩っぱく、ぱふぱふしたかみごたえが異次元の快楽をもたらす悪魔的美味しさだった。弟と貪るように、何袋も何袋も食べた。

しかし、ついに、母が買ってきても喜んで食べなくなる日はやってきた。目新しかったとは言え、後頭部が痛くなるほどにあまりに食べて飽和し飽きたのであった。

あたかも、その数年間で一生分を食べ尽くしたかのように、その後はほとんど食べていない。

 

今年は「キャラメルコーン誕生50周年」らしい。当時の楽しい思い出の続きに、久しぶりに買って食べてみようかしら。

 

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