かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

戸籍から見えたご先祖さま

昨年12月、父が亡くなった。まさにロウソクが燃え尽きるような静かな静かな最後だった。
亡くなった後、主にお金関係の処理で戸籍を取り寄せたたりなんだりと暫くは母と弟くん(長男)で忙しそうだった。家も車も株券も特段の貯金もない一人の老人が亡くなっただけなのにずいぶん大変なんだなあと、嫁に行った私(長女)は横から見ていた。

 

ともかくそう言うわけで、初めて父の戸籍というものを見ることとなった。数枚届いた中の1枚は手書きの文字がびっしりだったが、よく見ると「明治」や「大正」に混じって「文政九年」「天保五年」「安政三年」の文字が。それぞれ1826年、1834年、1856年である。
江戸時代に生きたフツウの人(苗字から察するにたぶん農民)の記録がこんな形で残っているとはビックリだった。

 

妻、大叔母、叔父、長男、孫などの関係をパズルみたいに並べてみたところ、私のおじいちゃんのおじいちゃんは徳太郎さん。そのまたおじいちゃんは文右衛門さんという人のようだった。たぶん、1800年ごろ生まれた人だと思う。

 

ああ!どんな人だったんだろう。どんな一生を送ったんだろう。
更に世代を遡っていくといったい何人のどんなご先祖さまたちが今の私の存在を生み出してくれたんだろう。


お墓参りには行っても先祖代々についてこんなに具体的にイメージしたことはなかったなあ。
ちょうどお彼岸だけど、お墓が遠方にあることもあって久しくお墓参りにも行っていない。せめて感謝の気持ちで合掌しよう。

 

私たち夫婦には子供がいない。だから、少子化問題が取り沙汰されるにつけ、将来の年金をはじめ、人口が支えるいろいろな社会の仕組みに貢献できず、申し訳ないなあと思う。
ここにきて、もう一つ、改めて申し訳ないと思うこと。一説によると30世代遡ると10億人を超える先祖がいることになるらしい。人類と呼ばれるようになってからだともっともっとたくさんの先祖が懸命に命を繋いできた。その人たちの喜怒哀楽栄枯盛衰紆余曲折相思相愛悲喜交々粉骨砕身春夏秋冬云々を私の代で切断してしまった。誠に申し訳ないことである。

 

それにしても戸籍って面白い。
実は、母も弟たちも今回初めて知ったのだが(父だって知らなかったかも?)祖父は養子だった。つまり、残念なことに徳太郎さんや文右衛門さんと私は血が繋がっていないのであった。
いつか私の遺伝子のモト、血が繋がっているご先祖様たちを探索してみたい。