かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

偶然とか必然とか

この頃読んだ本でやけに、偶然とか必然とか目についた。

セオは宇宙生物学者として、地球外の生命の可能性を研究している。地球と別の条件下でも、生命の誕生が「再現」できることを確かめようとしている。
生前の妻に、そんな研究の動機を問われたとき、セオは「一度きりは偶然( accident)、二度目は必然( inevitable)」と答えたことがあった。
—『偶然の散歩』森田真生著

 

「ねえ、叔父さん。ぼくも、兄弟がいれば良かったのにって、思うんです」  沈黙を破ったのは、また累のほうだった。「どうして?」「ひとりだと、なにかの間違いかもしれないじゃないですか。ふたりいれば、自分が生まれてきてよかったんだと思えます。ここにいていいんだって、思えます」
—『人間たちの話 (ハヤカワ文庫JA)』柞刈 湯葉

 

存在理由を存在として与えることができる者、それは「必然性」が意味をなさない領域にいる者です。それは可能性の全てを見渡すことと、選択された一つを見ること(必然性)が一致する者、部分にして全体である者に他なりません。そういった超越的存在にとってのみ、存在理由が存在それ自体となる。こういった超越者を、私たちは通常、神と呼ぶでしょう。

—『天然知能 (講談社選書メチエ)』郡司ペギオ幸夫著

 

「神」が出てくると急に難しくなってしまうが、「必然」は、物理法則や化学反応に負うところの科学的で論理的で意図的で、そうやって発生した物や事象はそれなりの価値や存在意義があって、仮に良くないことが必然に起こった場合は、必ず回避策がどこかにあって・・・というものかと思う。「偶然」は神サマの思し召しとか、ご縁とか、そんなもの。


仕事の失敗は自分の準備不足などで必然だったと反省だか諦めるだかするが、うまく行ったりすると偶然(運がいい)だなと思う。真面目な楽天家の私は、成功を運のせいにするから、更なる成長がなかったんだろうな。
自分は運がいいと思えることはいいことだと思ってきたが、刹那的でもある。

芥川龍之介は『運命は偶然よりも必然である』と言ったらしい。人生には偶然に起こることなんてない、つまり自ら招く必然だと言っているのだろう。

私はこれまでの大きな節目は全て偶然のような気がする。受験、就職、結婚、引っ越し・・・あれは全て必然だったのかしら。
必然の背景に、数えきれないほどの偶然と忘れ去られた選択の瞬間があるのかもしれない。

ちなみに座右の銘はLet it be。
そんな人生、歩んでます。