かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

実家

私が3歳の頃から結婚するまで住んでいた実家はもうない。物理的な「家」は別の人が住んでいるけど今も在るし、「両親」は家を手放して長女・長男がいるこの街に2年前の秋に越してきて、高齢ながらも元気で近くに住んでいる。「もうない」のはこの二つのペアのこと。

今私が住んでいる住宅地に同じ頃家を建てたものの旦那さんの事業の関係で家を売り、今はとなり町の賃貸に住んでいる友人が言っていた。

「子どもたちはここに帰省してくるけど、実家とは思っていないみたいなの。ただ『両親の家』って感覚みたい。」

 きっと、育った街並み、家の匂い、そこの光や空気、音も含めて「実家」なのだろう。そんな実家を離れて30年以上経つ。

 

私が3歳の頃、両親が土地を買い、小さな平屋を建てた。土地の整地も祖父が手伝って一緒にやったといっていたような気がする。古いアルバムをみると、周りにはほとんど家は無く、竹藪を背に、緩やかとは言い難い斜面に石垣で作った平地、そこに小さな平屋が建っている。両親と小さな私が、ささやかな希望に満ちた姿でそこに写っている。借金をして建てたが、その後の高度経済成長時代にどんどん父のお給料が上がって、確か毎月2000円程度の支払いがタダのように軽くなったと言っていた。

  

クリーム色の壁に赤い屋根の家は、小さいけれど、谷を隔てたバス道路からもよく見えた。バス道路脇の坂道を登ったところにある、可愛らしいカトリック教会ー私が通う幼稚園ーからもよく見えたが、そのうちぐるりに次々と家が立って、実家は埋もれて見えなくなった。

 

両親が80を超え、坂道がつらいというので引っ越しを勧めたら、よほど弱気になっていたのか、それまでそんな話はでてもまるで動く気配がなかったのに、あれよという間に、家を売ることになった。

不動産屋さんがネットにだした間取り図を見て、驚いた。私たち兄弟の成長に合わせるように若干の増築をしたとはいえ、小さな平屋のはずが、平図面にするとやけに広く立派な家に見えた。そして、私の部屋だったところも、中が畳の形に6つに区切られた四角い枠になっていた。

 ほどなく家の値段とは思えないような破格値だったが、売れた時は、奇跡だ、よく売れたものだ、ありがたい、と兄弟3人で安堵した。

 

両親が、この街に引っ越してくる日、実家の荷物を出し終えて、私が最後にひとり玄関の鍵を閉めた。かつんという錆びたような音だった。感謝や寂しさと一緒に、長い長い時間が閉じられた音だった。

 

 

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