かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

雨の朝

雨の朝だ。けっこう降っている。木々の葉を打つ音や不思議な薄暗さに誘われて、目の前にずっと昔の記憶が現れる。

 

たぶん小学校2年生くらいの頃。透明のビニールに赤い花模様がプリントされた可愛いカッパをもっていた。小さく畳んでいたものを、いざ雨が降って広げるとき、ごわごわとビニールどおしがくっついて、ちょっと使いづらかったように思う。でも、ビニールの匂いと、赤い花の模様がどこか特別な感じがして好きだった。

 

ひどい雨の朝、同級生の林さんは、お父さんのものと思われる赤茶色の大きな布製のカッパを、頭からランドセル、足元まですっぽり覆うように着ていた。

あまりに大きなサイズが不格好で、誰かがからかう。お気に入りの花柄のカッパにご満悦の私も、林さんの姿に心で嘲笑する側の子どもだった。

林さんの雨に濡れた茶色がかったくせ毛、大きな瞳、しっかりと上を向いた長いまつ毛、少し青ざめて大人びた小さな白い顔。

ごった返す下駄箱の横で、先生が、無表情な林さんの大きなカッパを脱がせるのを手伝っていた。

 

夢、みたいだ。

切れ切れのストーリー、部分的な背景、クローズアップされるパーツ、毎回同じ場面。思い出すと胸が苦しくなる。

 

確か林さんのうちは、家族でやっている古い小さな商店だった。林さんは末っ子だったのだろうか。ご両親は年がいっているように見えた。あの日は、お父さんがひどい雨を心配して自分のカッパを着せたのかもしれない。前のホックを留めて、さあ、これなら濡れないよ、気をつけて行っておいで、と雨の中に送り出したのだろう。

 

あの時の林さんに会いたい。ランドセルまですっぽり覆って足元まで隠れるカッパ、とても素敵だよって言いたい。

 そして、人と違った格好を笑われても、素直に親の愛情を受け止める林さんを、羨ましく思うよ、って。 

  

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機内食

近くに住む弟がたまったマイルで買ったのか、ANAの冷凍された機内食をくれた。私は仕事が長引いたときにチン!と手軽に食べたかったのだけど、夫がどうしても翌日がお休みの日の夕食としてゆっくりお酒と一緒に食べたいと言ってきかなかった。それで仕方なく2週間ほど冷凍庫に眠らせて、ついに本日がその日となった。

 

機内食と言えば海外旅行だ。コロナになる前は数年に1度の割合で清水の舞台から飛び降りるつもりで海外旅行に行っていた。興奮と緊張のうちに飛行機が離陸。やがてキャビンアテンダントさん(私の時代はスチュワーデスさんだが)が飲み物を持ってきてくれると迷わずワインをお願いした。プラスチックのコップに注いでくれることもあれば、カップと一緒に小さな瓶をそのまま渡してくれる航空会社もあった。

貧乏性なので、タダだからたくさん飲もうと思ってしまったり、時差ボケしないように長いフライトの間、アルコールの力で少しでも眠っておこうという意図もあった。でもやっぱり飛行機の中でワインを飲むということに妙にわくわくしていたのだと思う。「夕食」と定義された機内食の香りが漂う頃、またワインを飲み始め、なんとも夢のような旅の高揚感に包まれていく。

 

というわけで、貰い物の機内食が我が家の電子レンジで温まったところで、夫が「城達也ジェットストリーム」のオープニングテーマまでネットから探し出し、心ならずも機中の人となった。

  遠い地平線が消えて

  深々とした夜の闇に心を休める時、

  遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、

  たゆみない  宇宙の営みを告げています・・・

どちらかと言えば、海外旅行に行きたがっていたのはいつも私のほうだった。しかし、こんな海外旅行もままならない世の中になってしまったことに、寂しさを覚えていたのは夫も同じだったのだろう。早くまた行けるようになるといいね・・・。

 

さて、くだんのANAさんの機内食は「ビーフハンバーグステーキ」と「大阪大黒ソースカツカレー」。夫の望みどおり、ワインを飲みつつ、そんな雰囲気に浸りかけた時。

  これからのひと時。

  日本航空が、あなたにお送りする

  音楽の定期便。「ジェットストリーム」。

  皆様の、夜間飛行のお供を致しますパイロットは、

  わたくし、城達也です。

 あ。JALさんの提供番組だったのね。

 

ANAさん、JALさん。また、いつか素敵な旅に連れて行ってくださいね。

 

 

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スズメさん

昨年から始まった在宅勤務は現在週に3-4日。お客さまや社内とのオンライン会議もずいぶん慣れてきた。

私の自宅のオフィスは食卓だ。南北に長いリビングのいちばん北側から南側を向いてノートパソコンを開き「仕事」している。この食卓オフィスから見えるように、掃き出し窓の外に水入れと小さなお皿を置いている。

お皿には、不本意ながら発生させてしまった賞味期限切れの穀物類や冷凍庫の底で固くなってしまったパンの切れ端などを入れてスズメさんたちのご来訪を待つ。

 

最初は先遣隊の1、2羽、やがて一族郎党、中には幼鳥も混じってお食事にいらっしゃる。まだお母さんから食べさせてもらっている甘えん坊もいる。

オンライン会議をやりながら、実は外のスズメさんたちの挙動に目をやっていることは会社関係者にはナイショだ。

 

騒々しいおしゃべり、茶色のお帽子、ちょんちょんと跳ねて可愛らしいスズメも激減しているらしい。たしかに私が子どもの頃は、巣立ちの季節には飛ぶのがおぼつかない雛鳥がぼとぼと落ちていたという記憶がある。それだけ全体の数も多かったのだろう。ヒトが環境を変えていってしまうことで、食べ物や住むところが減って、この愛すべき隣人もだんだんといなくなっているのかもしれない。

 

この頃、ご飯を炊いたお鍋を洗う時、鍋肌に残っていたご飯粒が排水口に流れてしまわないように小さなザルで受け止めて、外のお皿に入れておく。すると、またどこからか飛んできて嬉しそうについばんでいる。食品ロスの解消やゴミの削減に貢献すべく、スズメさんたちも積極的にSDGsに取り組んでいる。

 

それにしても、小鳥や動物や魚が嬉しそうに食べている姿って、ほっこりと心が和む。

そういえば、私が好物の焼き菓子などを頬張っているとき、ふと見ると夫の私へのまなざしは慈愛に溢れている。自分がお土産に買ってきたものの場合などはなおさらで、且つ、妙に満足げな面持ちで、こっちを見ている。むむ。

 

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社畜ここに極まれり

もう30数年間同じ会社で働いている。なんと人生の半分以上、会社員をやっていることに、今更ながらに驚く。

入社した時、会社ではWindowsもまだなくてDOS/Vマシン、フロッピーはうちわのような8インチ、オフコンの40MB(!)のハードディスクが増設されて大喜び、電話は黒電話を数人でシェア、という時代だった。男女雇用機会均等法の前夜で新入社員研修は男女別々に(男子のほうが厚く)行われていた。

その後、私が家と会社の往復を繰り返しているうちに、Windowsは10となり、無線通信は5G、電話にカメラやパソコンがくっついて、1枚2枚と数えられるようになった。何より、会社に行かなくても在宅勤務、オンライン会議でコトが済むようになった。

 

時間が経つのはあっという間。

社畜なりの向上心、社畜なりの楽しみがあった。

社畜ここに極まれり。

 

 

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実家

私が3歳の頃から結婚するまで住んでいた実家はもうない。物理的な「家」は別の人が住んでいるけど今も在るし、「両親」は家を手放して長女・長男がいるこの街に2年前の秋に越してきて、高齢ながらも元気で近くに住んでいる。「もうない」のはこの二つのペアのこと。

今私が住んでいる住宅地に同じ頃家を建てたものの旦那さんの事業の関係で家を売り、今はとなり町の賃貸に住んでいる友人が言っていた。

「子どもたちはここに帰省してくるけど、実家とは思っていないみたいなの。ただ『両親の家』って感覚みたい。」

 きっと、育った街並み、家の匂い、そこの光や空気、音も含めて「実家」なのだろう。そんな実家を離れて30年以上経つ。

 

私が3歳の頃、両親が土地を買い、小さな平屋を建てた。土地の整地も祖父が手伝って一緒にやったといっていたような気がする。古いアルバムをみると、周りにはほとんど家は無く、竹藪を背に、緩やかとは言い難い斜面に石垣で作った平地、そこに小さな平屋が建っている。両親と小さな私が、ささやかな希望に満ちた姿でそこに写っている。借金をして建てたが、その後の高度経済成長時代にどんどん父のお給料が上がって、確か毎月2000円程度の支払いがタダのように軽くなったと言っていた。

  

クリーム色の壁に赤い屋根の家は、小さいけれど、谷を隔てたバス道路からもよく見えた。バス道路脇の坂道を登ったところにある、可愛らしいカトリック教会ー私が通う幼稚園ーからもよく見えたが、そのうちぐるりに次々と家が立って、実家は埋もれて見えなくなった。

 

両親が80を超え、坂道がつらいというので引っ越しを勧めたら、よほど弱気になっていたのか、それまでそんな話はでてもまるで動く気配がなかったのに、あれよという間に、家を売ることになった。

不動産屋さんがネットにだした間取り図を見て、驚いた。私たち兄弟の成長に合わせるように若干の増築をしたとはいえ、小さな平屋のはずが、平図面にするとやけに広く立派な家に見えた。そして、私の部屋だったところも、中が畳の形に6つに区切られた四角い枠になっていた。

 ほどなく家の値段とは思えないような破格値だったが、売れた時は、奇跡だ、よく売れたものだ、ありがたい、と兄弟3人で安堵した。

 

両親が、この街に引っ越してくる日、実家の荷物を出し終えて、私が最後にひとり玄関の鍵を閉めた。かつんという錆びたような音だった。感謝や寂しさと一緒に、長い長い時間が閉じられた音だった。

 

 

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メダカさんたち

もしかしたら、もう10年は経つのかも知れない。ラーメン屋さんのオマケで白メダカをもらって、初めてメダカを飼い始めた。今では、玄関先に鉢が3つ、リビングの窓辺に水槽が2つ、普通色、白色、オレンジ色が混在し全部で30匹ほどのみなさんが暮らしている。

 

ヒトの姿を察知すると、ごはんちょーだい、おなかすいたよーとみんなで寄ってくるところが可愛い。元気にぱくぱく食べている姿に頬が緩む。水草の間を泳ぐ小さな姿、青空を透かしてみると空を飛んでいるみたいだ。時に、緩やかなピアノのジャズをBGMに、彼らが元気に動きまわる姿や水面が揺れる様を日がな一日眺めるという、至福のひとときをご提供いただいている。

 

以前、会社の若手男子が金魚を飼っていて、時折、金魚・メダカ談義をやっていた。その話っぷりからとても可愛がってるのがわかった。ところが、彼が奥さんとの離婚でごたごたしているうちに、金魚のお世話が疎かになり死なせてしまったそうだ。「別れようと思います」と告げた時より「金魚が死にました」と言った時の方がずっと悲しそうに見えた。

 

この小さな魚たちの命は私たちに委ねられている。食べ物を与えるほかに、夫が水を作り、私がときどき水槽のガラス面のよごれを拭き取ったり底に溜まった汚泥を吸い出したり。そうやって、このこたちの宇宙を作っている。こっちの鉢とこっちの鉢は別の銀河。隣にあっても存在すら知らない。私たち人間も似たようなものかも。

 

外の鉢のほうは、冬以外は毎日エサをあげることと、伸びすぎた水草をとること以外は基本的には水を足すだけ。夏は陽が当たってお湯寸前、冬は厚い氷が張ることもある。だのに、外のこたちの方が格段に長生きだ。5年以上生きて5cmをこえるこもいる。ヒトの介入が少ない方が彼らにとって喜ばしいことだとしたら、リビングで愛嬌を振りまいてくださっているみなさんに申し訳ないなあ。

 

いつからか夫は毎朝出かけるときに、水槽に向かってご挨拶するようになった。

「じゃあ、行ってくるね、メダカさんたち。」

とても律儀だ。

 

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オートバイ

大学卒業間近の頃、オートバイの中型免許を取った。

会社に入って初めてのボーナス、これは寸志と言う形で支給された50,000円であったが、これを使ってヤマハのSRX250Fを買った。排気量250cc、 DOHC単気筒エンジン、スリムなタンクにヤマハの音叉マーク、ハーフカウルが付いた真っ赤なモデル。

一度、有料道路の料金所のおじさんに止められた。大柄な私が跨ると原付に見えたらしい。近くの海岸線や田んぼの中の田舎道、少し遠出して林の中の国道を一人でのんびり走るのが好きだった。

 

片岡義男の本を片っ端から読んだ。物語に登場するカッコいい女の人みたくヘルメットを取った時、頭を振って長い髪を揺らすことに憧れて、ストレートパーマまでかけた。残念ながら私のくせ毛はパーマ液を持ってしても、さらりとしたロングヘアには程遠く、夢は叶わずじまいとなった。

 

夫と結婚するまでは150キロほど離れて住んでいたので、休日にはそれぞれのオートバイで予め決めておいた所で待ち合わせ、それから1日、一緒にツーリングを楽しみ、そしてそれぞれの家に戻っていた。猛暑でも、雨での日でも、寒くてどうしようもなくても、楽しくてしようがなかった。

 

私のSRXは数少ない私の嫁入り道具のひとつとなり、一緒に夫のいる街やってきた。結婚して暫くは、2台で家からツーリングに出かけていた。が、何かが違う。独身の頃と同じように1日中大好きなオートバイに乗って、家に戻ってきたときに「ああ、楽しかった!」ではなくて「ああ、無事に戻って来られてよかった!」と思っていることに気が付いた。失いたくないもの、壊れてほしくないことが増えすぎて、オートバイを心から楽しめる時代が終わったのだと思った。

 

その後、夫は通勤に使っていたけど、私はぱったりと乗らなくなり、やがて家を買って引っ越した時に2台とも手放した。夫のFZR250は私の弟へ、私のSRXはある晴れた昼下がり、引き取りに来たトラックに乗せられて行ってしまった。ドナ ドナ ドナ ドナと、市場へ向かう子牛みたいに。ごめんね、ありがとう、さよなら、SRX。さよなら、私の青春。

 

今、車を持ち、どこかに出かけるときは専ら夫が運転する。助手席に座ってドライブに行っても今一つ高揚感がないのは自分でオートバイを走らせる楽しさが忘れられないからかもしれない。

少し前、夫が屋根が開くタイプの中古車を買った。納車の日は、少し肌寒さが残ってはいたがお天気がいい日で、早速、私を横に乗せ屋根を開けて小ドライブすると夫は嬉しそうに言った。

「ふたりでツーリングしてるみたいだね」

 たしかに、直接降り注ぐ日差しや風の匂いが、オートバイのそれに似ていた。

 

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