夫は、2年ほど前から唐突にピアノを習い始め、このたび、教室の皆さんも参加して、小さなステージで発表会があった。
あがり症を自覚し、対策を模索したらしく、どこで知ったのか事前に「成功する音楽家の新習慣〜練習・本番・身体の戦略的ガイド〜」という本を読んだらしい。
そして、自分が弾いている曲をお客さんと共有して楽しもう、という境地で臨んだらしいが、やはり、楽譜も読めない夫はもちろん「成功する音楽家」には程遠く、本番は思ったように弾けなかった。
一夜明けて、夫は次回、本番でアガらないで上手く弾くにはどうしたらいいかと考え始め、ゴルフ番組で言っていたティーショットについてのアドバイスを思い出したようだ。
「周りは野菜です。誰もあなたを見ていません。」
実は私も夫に誘われて、同じくト音記号程度しかわからないのに、歌を一緒に習い始め、夫婦ユニットで練習してきた2曲をご披露したのだった。私の歌も、そもそもカラオケで「原曲、聴いてこーい!」などと、罵声を浴びるクチだったので、発表会も推して知るべし、夫以上に轟沈だった。
優等生的社畜的気質の私が「上手に歌わねばならない。そうでなければ恥ずかしいことである。」と劣等感に押しつぶされそうになる場面であるが、少し前にアドラーの「嫌われる勇気」やら「幸せになる勇気」(岸見一郎・古賀史健 著)を読んだ私は少し強くなっていた。(世の中の話題に遅れること7年、読んでおいてよかった。)
私は「初老夫婦の無謀で厚顔なチャレンジは楽しかった。人が何と思おうと、自分が今楽しいと思うことが大事なんだ」とかろうじて思った。
私は、悟った賢者のごとく、夫に言った。
「ジャガイモやカボチャに逃げるんじゃなくて、もっと前向きに、失敗しても失笑を買ってもごきげんな、ヘンな夫婦でいようよ!」
夫が言った。 「それって『笑われる勇気』だね。」
座布団を3枚あげたくなった。
ともかく、何をおいても、音楽を楽しむには熱心な練習が重要だと思うが、私だけ「音楽」とは違うものを目指し始めていないか、夫はちょっと不安げでもあった。