趣味らしい趣味がない。やはり「老後の趣味」が無くては何かとよろしくないのではないか、今のうちに何か夢中になれる楽しみを見つけておかねば、と妙な切迫感めいたものがわく。
まず、何を以って「趣味」と言っていいのかがわからない。幸か不幸か莫大な人生の時間を費やしてきた「会社員生活」がそれなりにいろいろな意味で面白いのだけれど、これはさすがに趣味ではなかろう。
本を読む、勉強会に顔を出す、花を植える、お菓子を作る、ウオーキングに出かける・・・これらもそれなりに全部楽しい。特に「学ぶ」「知る」という感覚には心躍るけど「趣味」と呼ぶには薄っぺらく、認定には至らない。
しかし、茂木健一郎さんの本(「ど忘れをチャンスに変える思い出す力」)にヒントがあった。自分の興味に従って楽しいと思うことを、将来どう役に立つのかなんて関係なく、好奇心をもって学びつづけよう。そのうちエピファニーに出会える、と。これには勇気づけられる。
と、思ったら三木清先生の「人生論ノート」には、真に生活を楽しむにはディレッタントではだめだよとある(ものすごく難解な本なので、たぶんそんな意味・・・)。ディレッタントとは「専門家ではないが、芸術や学問を趣味や道楽として愛好する人」のことらしい。 ネガティブな書かれようだが、ディレッタンティズムを楽しむのもよいのでは。
よし。エピファニーの前に、まずは「目指せディレッタント」だ。
なお、三木先生によると、懐疑する力を失うと、ディレッタンティズムの落ちていく教養のデカダンスになるという。
よくわからないけど、なんか、カッコいいゾ。