かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

再び、ちょっと前の近況(腫れた件)

前回の投稿がノーパンの謎の話で終わってしまった。

 

ちなみに大学病院での最初の診察の時から、アゴの表面に軽い麻痺が残るのは避けられないかもと言われていた。髪の毛が触れたりごはん粒が付いていても気が付かない程度に感覚が鈍くなると。

会社のみんなには「退院して会社に出たとき、口の周りにごはん粒がいくつかくっついたままになっているかもしれない。その時はちゃんと教えてくれ。」と言って休暇に入った。

今のところその後遺症はない。ごはん粒は自分で気づいて除去できている。

 

話を手術直後に戻す。

個室だったし土日もあり、夫くんとはLINEでちょいちょいテレビ電話をしていた。

手術後の夜、顔を見せたら、ほっとした様子で無事を喜んでくれた。

2日目の朝「ちょっと腫れてる?大丈夫?」

同日の午後「んまああ!?腫れたねえ!」

3日目の朝「んまあああああ!!スゴイね!(爆笑)」

 

こんなに両頬が腫れ上がるなんて知らなかった。先生からの説明もなかった。だんだん腫れて、ピークは3日目あたりにくるものらしい。

夫くんから「がきデカ」と笑われた。私自身も面白がって友人達に写真を送ったりした。心あるお方からは「ペコちゃん」と言われ、ぱんぱんに膨らんだ頬からほうれい線やたるみが消えたためか「可愛い」と評価してくれる者も現れた。

 

そして手術から1ヶ月。マスクからはみ出さんばかりの腫れも「ほぼ」沈静化した。人から腫れの具合を尋ねられると「ええ。まだ、ちょっと」と答える。

 

まだちょっと腫れている。ずっとこのまま下ぶくれだったら、これこそ「後遺症」と呼ぶべきものではなかろうか。が、もしかしたら、この下ぶくれ具合がもともとの実力値かもしれない。写真判定が必要である。

ちょっと前の近況(入院した件)

この期に及んで今さらだが、2021年のトップニュースは、生まれてはじめて入院して、点滴して、全身麻酔で「手術」したことだった。と言ってもたかだか「抜歯」なのだが。

 

11月末に右側のアゴの下が痛みと共に腫れたので歯医者さんに行ったら、大学病院を紹介され、「ちょうど(ベッドの?)キャンセルが出た」というので12月中旬に入院。右だけでも全身麻酔、だったら左もついでに、となった。

 

両方とも顎の骨のとても深いところにある親知らずで、「手術」の前日、その内容やリスクについて説明を受けた。「神経がうんぬん」「動脈がうんぬん」「舌まで麻痺が残ってうんぬん」と。この段階で、やっと、あれ?こりゃ、えれーことになったと認識。

 

手術当日。手術室まで手術衣を着て点滴しながら歩くと“患者感”が高まった。ただ、イメージではベッドに乗せられたままガラガラガラ・・・だったのだが(TVドラマとは違うんだなあ)。

 

一番驚いたのは、病室を出るとき手術衣の下に青い紙パンツをはかされていたのだが、病室に戻って来た時、手術衣の下がノーパンだったこと。

手術台に寝転がったらすぐに肩から足の先までシーツみたいな布をかけられ、そのあと手術衣をぱぱぱっと引き抜かれた。その時は確かにパンツ(だけ)ははいていたはず。

いったい何がどーなってこーなったのかなあ。と、誰かに聞くのも怖くて(とんでもなく恥ずかしいことが起こっていたとか)、謎を残したまま4泊5日の人生初入院を無事終えたのであった。

最大静止摩擦力

記憶がどんな仕組みなのかわからないが、中学や高校の教科書に載っていたことを何の脈絡も無しに不意に思い出す。モヘンジョダロとかコロイドとか。

若干の脈絡に乗ってしばしば浮かんでくる単語もある。その一つが「最大静止摩擦力」だ。

 

中学校の理科か高校の物理で習っただろうか。

モノが置かれた面と置かれたモノの間の摩擦力は、モノが動き出す直前が最大で、モノが止まっている時や動き出してからの摩擦力より大きいという内容だったと思う。動き始めるためにはちょっと力が要るってことだなあと記憶に留まったのだろう。

 

「片付けでも、勉強でも、どうやったらやる気になりますか?」「まず、動け。やり始めたら勢いづくから。」というような指南を何かで目にした覚えがある。最初の1歩をまず踏み出す。実際その通りだと思う。そして最大静止摩擦力のことを思い出す。

 

暫く書いていなかったブログを再開するにも、ソレが働いたんだな〜と勝手にふむふむと納得感を得る。

そして読んでくださった方からいただいた星マーク(緑色まで!)に感激し嬉しくなって、加速度が増した次第。

 

あ。いま、「慣性の法則」って思い出した。

寅年になった(なっていた)

最後に投稿してから2ヶ月半ほど経ってしまった。

ぼんやりしている間に年も改まり2022年、生まれてから6回目の寅年に。

年女なのだ。今年の誕生日でいよいよ60歳なのだ。

 

子供の頃、いや、40代になってからも60歳はずっと遠くにあって「おじいちゃん」「おばあちゃん」の世界だと思っていたが。

 

一生のうちで大きな転機や節目ってそんなに何回も訪れない。特に超保守的、平坦人生の私には滅多にないことなのだ。60歳の節目はそれだけで大イベントに違いない(たぶん・・・)。

ぼんやりしていたらもったいない。

 

小さな目をもうちょっと開けて(上瞼よ、がんばれ)、周りのいろいろなものにちゃんとピントを合わせていこう。

 

と、私が私を楽しむために、これからも気ままにブログを書いていこう、と思った2022年の1月も10日過ぎた朝なのであった。

 

本年もよろしくお願いいたします。

 

小さなパンに救われたこと

出張帰り、JRを降りて、自宅に向かうバスに乗る前にパソコンを開きたくて、パン屋さんのイートインに入った。

小腹が減っていたのでコーヒーだけでは我慢できず、つい大好きなナッツが乗った小さなタルト風のパンも一緒に頼んでしまった。

パソコン作業をあらかた終えて、パンをかじる。期待していたナッツの香ばしさもバターの香りも無く、ぽそぽそだった。その落胆のかたまりをコーヒーで胃に流し込みながら、コーヒーだけにしておけばよかったなあと後悔してお店を出た。

 

私が乗るバスの路線は駅前のバスセンターが始発である。私がお気に入りの一番後ろの左端の席にオシリを落ち着けるとすぐに、ちょっとぽっちゃりした大柄の高校生らしき若者が私の右横にどさっと座った。

その瞬間に察知した。これは揚げたての塩気の効いたフライドポテトの匂いではないの。

大柄ぽっちゃりくんは、揺れるバスの最後列で控えめに袋からポテトを食べていたが、ポテトの芳しい香りは情け容赦なく拡散して私の鼻腔で大暴れしていた・・・。

 

私はあの小さなパンに感謝した。

もしも、夕食前の空腹の身でここに座っていたら! 溢れ出す唾液、胃液、ため息と戦い、大柄ぽっちゃりくんを呪いながら、ポテトが食べ尽くされるまで、食欲をそそってやまない匂いの生き地獄を耐え忍ばなければならなかっただろう。

あのぽそぽそとしたパンがコーヒーの水分でいい具合に胃の中で膨らんでいたおかげで、窓の外のオレンジ色に輝く夕陽を愛でつつ穏やかに家路につくことができたのだった。パンよ、ありがとう。

 

味はぱっとしなかったけど、とても大きな価値を秘めたパンだったんだなあ(って、言いすぎか~)。

 

>にほんブログ村 ライフスタイルブログ 穏やかな暮らしへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 50歳代へ
にほんブログ村

10月の置き土産

今年の10月は晴れて気持ちの良い日が多かった。おかげで夏物の衣類や綿毛布などをどんどん洗濯して衣替えも順調に進んだ。

金木犀も私の心配をよそに(心配だったのは「あれ?もう咲いたっけ?」と記憶が曖昧な私のボケ具合である)、いつもより10日ほど遅れてちゃんと金色の花をつけ、甘い香りで秋の深まりを教えてくれた。

 

下旬に珍しく我が家にお客さまをお迎えすることになり、在宅勤務の前に雑巾を持って床や壁などを拭いたり、庭の雑草を抜いたりして、朝のウオーキング・タイムを何日もそちらに当てた。週末も、棚の整頓や、勢いに乗って、食品ストックの賞味期限切れしたものの廃棄など。

なにしろ普段のお掃除が雑、というよりちゃんとやっていないので、すわ、人が訪ねてくる!となるとお迎えする前にかなりの大掃除を行うことになる。ウオーキングに比べると運動量は少なくなってしまったが(いや、どうだろう?)、おかげで部屋がきれいになって空気が澄んだような気がした。

郊外の我が家まで来てくれたYちゃんに感謝。もちろん久しぶりの再会のひとときも楽しかった。

 

こうして10月があっという間もなく過ぎて、早いもので年末まで2ヶ月を切ってしまった。10月の置き土産、この片付いた状態を維持したいものだ。

 

kazesoratori.hatenablog.com

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 穏やかな暮らしへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 50歳代へ
にほんブログ村

今年の金木犀は?

しばらくブログを書かなかった。緊急事態宣言が解除されてお客さまを訪問する日が増えた、つまりその前後で準備や報告などの時間も増えた、そしてブログの優先順位が下がってしまった。

いや、それより気持ちの問題かな。もし、とにかく体から文字をアウトプットしたい、という気持ちにあふれていたら、寝る間も惜しんで何か書いたのだろうけど。

まあ、それでいい。気ままに気が向いたら思ったことを書きつける。”「〜すべき」「〜せねばならない」の私”とは距離を置くようにしているもの。

 

先週まで日中は30℃を超えて暑い暑いとクーラーを入れていたが、週末の雨を境に晩秋の寒さになった。

だけど、朝、窓を開けた瞬間、不意をつくような金木犀の香りに本格的な秋の深まりを感じて、気持ちがキュッとなる、あの感じが今年はまだ無い。「まだ」? それとも私がぼうっとしている間にそんな時期はとうに過ぎてしまったのか。

 

毎年、お誕生日に私からメールを送っている友人がいる。「おめでとう」の後に「金木犀の香りが・・」と時候に触れていたように思うが、今年は書いていて「あれ?そういえば?」と気づいた次第。

 

あの香りを嗅がないことには私の秋は本格化しないんだけどなあ。夏がフェードアウトしてそのまま冬になるなんて寂しい。

あ。今年の金木犀は9月半ばに早々と咲いたという記事が。やはり私がぼうっとしていたのかしら。

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 穏やかな暮らしへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 50歳代へ
にほんブログ村