かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

雲の一意性

梅雨らしく、本日は朝から雨模様。空は一面薄い灰色。ざんねん。

 

雲を眺めるのが好きだ。気圧が不安定なときは特に鼓動するみたいに山際から押し寄せてくる雲や、複雑な形が何層にも立体的にさまざまな形で重なる雲、真夏の真っ白な積乱雲、なぜだか命のありがたさがわいてくる夕焼け雲(1日無事に過ごしたことへの感謝かしら)。

 

眺めるだけでは飽き足らず、写真に撮りたがる。空模様はその瞬間に切り取られてデジタルデータのピクセルとなって私の手元で私のものとなる。所有の欲求の発動か、過ぎてゆく時間を過剰に惜しむ保守的性格の現れか。

 

海辺にお父さんと10歳くらいの少年の幸せそうな日常があった。ある日、少年が言った。「あれ?お父さん、この雲のかたち、前にも見たことがあるよ。」

暫くして何かの拍子に、少年は二人が巨大なドームで暮らしており、科学者のお父さんが海も陸も空も本物のように創っていることを知る。だから、空に浮かぶ雲の形が同じだったことがあったのか・・・。

物語の最後のシーンは、それを知ってショックを受けた少年が思わず顔に手をやった瞬間の絵だった。かぱっと顔が外れた隙間から内部の機械が見えていた。少年も作り物だったのか!と、いうようなSFマンガを昔読んだ(私の記憶は例によって曖昧で当てにならないが)。

私は雲との一期一会を楽しみながら、同じ雲の形がまた現れないか、この世界が偽りではないかとチェックしている(のかも)。

 

 気象衛星ひまわりから写真を撮ったら、地球と雲の模様は絶対に同じ画にはならないのだろうか。そのパターンは本当に無限なのだろうか。その瞬間の一意性は証明することができるのだろうか。

もし無限でなかったら(背理法みたいだ)、やがていつかは「前にも見たことがあるよ」と誰かが指さす時が来る。あのマンガみたいに。

 

思いを巡らせていたら、雨があがって明るくなった。

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 穏やかな暮らしへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 50歳代へ
にほんブログ村