かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

彼女は怒っていた。

高校の同級生3人とランチした。Mちゃんが、ねえねえ愚痴なんだけど聞いてくれる?と語り始めた。Mちゃんは怒っていた。
Mちゃんは50代後半から卓球を始めた。始めたての頃に出たダブルスの試合で、負けた後にペアを組んだ人に「Mさんの方がミスが多かったね」と言われたらしい。

(ちなみに、ここまで聞いた時点で私のリアクションは「で、事実はどうなの?」であり、人格者であるHちゃんの方は「上手下手なんて関係ないよね」とMちゃんの気持ちを汲んだものだった。)

 

ミスが多いと言われたことでMちゃんは凹んだが、上達を目指して猛練習を続けた。その入れ込みようは私たちもよく知っている。そうなったキッカケの一つがペアからの一言だったことは、この時知ったのだが。

先週、Mちゃんは久しぶりにその人とダブルスを組んで試合に出た。試合に負けて、そしてまた同じようなことを言われ、激怒するに至った。さすがに相手もMちゃんの怒りを悟り謝ってきたがMちゃんは許せないらしい。
「この数年の努力を否定されたような気がして」と。

 

なんと羨ましいことか。
Mちゃんは本気で卓球に打ち込んだのだ。まさに悔しさをバネに全身全霊をかけて。

それに引き替え、私はいつも「なんとなく」やっている。だから、負けてもあまり悔しさを感じない。そもそも本気で努力していないので「努力を否定された」と怒りの感情も湧いてこない。

会社の後輩のYさんもそうだ。彼女は仕事がらみで悔しくて泣く。自分の仕事を上司から理不尽に否定された時、悔しさと怒りで涙をこぼす。Yさんも本気で力を尽くているのだと思う。


MちゃんやYさんのひたむきな心の熱量や感情の爆発が羨ましい。薄っぺらでテキトーな私と比べて人生の濃度がものすごく高いと思う。

 

高校時代、私とMちゃんはバドミントン部でダブルスのペアだった。
今にして思う。Mちゃんは、中途半端で根性無しで闘魂乏しい私に練習の時も試合の時も声をかけ勇気づけ頑張ろうと引っ張ってくれていたんだ。熱意足りていなくてごめんね。そして、今も大事な友だちでいてくれてありがとう。