唐突に、何がきっかけなのかわからないが、ふと自分のことを思った。
「後世に名も残さず、子孫もなく、お墓だってない。
地球の長い歴史のほんの100年程度、ただ資源を消費した存在。
うわあ、たいへんだ。なんと哀しい存在だ。」
特に悲観主義者でもないのだが、アノニムでしかない寂しさで胸がきゅっとなった。
そんな時に、これまた何がきっかけだったか忘れたが、平野啓一郎のSFな小説「本心」を読んだ。そして、その中にでてくる「縁起Engi」というアプリをめぐる話に、はっとさせられた。
お話そのものは、「僕」石川朔也が母親の死後、AIで再現された母親や生前の母親の友人たちとの交流を通じて、自由死を望んだ母親の本心を探していくというもの。著者が唱える「個人」ではなく「分人」の切り口がベースになっている。
「縁起」はその中に出てくるアプリ。ヘッドセットをして仮想空間の中で、宇宙のとんでもなく長い時間を体験するというもの。宇宙の始まりビッグバンから始まって地球が誕生し、太陽に吞み込まれて滅んだあとも淡々と時間が続いて・・・と時間のスケールが300億年とか、想像できないくらいにとてつもなく大きい。
このアプリを紹介してくれた三好という女性が「私が死後も消滅しない方法がある」と言う。自分も宇宙の一部だと感じとること、自分と宇宙の間に区別が無くて、宇宙そのものとして死後も存在し続けることだと。
ここまでであれば、死後の世界とか天国などの精神的な抽象的な話で終わるのだが、三好は「死んで焼かれると骨と灰と二酸化炭素になる」と言う。だから、石川朔也という固有名詞の短い一生が終わると、また元の宇宙の元素の一部に戻るのだ、という物理的な説明が心に刺さった。
大気中に放出された二酸化炭素のCやO、骨だったCaやPなど、私の体を構成していた元素レベルの何かが、宇宙のどこかに存在し続けるなんて、考えたことがなかったなあ。歴史に名を残した人たちも、地球がなくなった後はみんな同じ元素レベルの存在になるんだ・・・。
と、私も小説の中で「縁起」アプリで壮大な宇宙の俯瞰を体験した気になった。
宇宙の時間の流れの中で、元素の集合体である私が、ほんの一瞬だけど固有名詞を持ったことを嬉しく思った。