何と読みづらい本(翻訳が?)であるか!「私はかつて、その幼少時代に両脚の使用をうしなってしまった一人の男を知っている。」は「両足が不自由になってしまった一人の男」でいいと思うが。
と、いう本なのだが、ある章で「おやや!」と耳にとまり、道端でつい立ち止まってしまった(散歩中にKindleの読み上げ機能で聴いていた時だった)。
むかし昔、あるところにあった二つのソーセージ製造機の話。
かいつまんだ概要が本の最後の解説(小川仁志)の中にあったので引用すると
ソーセージ製造機は、豚を取り込んでソーセージを作るから幸せなのであって、いくら熱意をもっていても、それを自分の内部のみに向けていると、幸せにはなれないのです。自分はいい機械だと思い込むだけでは、何も生み出せませんから。
外から豚肉を取り込まず、自分の内部のことばかり気にしてるソーセージ製造機?
このところの私の穏やかな日々は、いろんな刺激を遠ざけ、場合によってはシャットアウトして生じたとも言える。人と接触しなければ心が刺々しくなることもない。政治やネガティブなニュースも心がざわざわするから知りたくない。
別の章にあった幸せではないパターン「理性による厭世」にも近いかもしれない。
外からの刺激を遠ざけることは「何も食べないこと」と同じだなと思った。体に良い食べ物を選んでも食べるように、いい刺激を選んで(ソーセージ製造機で言えば良い豚肉)自分に取り入れていくのは、大事なことなのかもしれないな。
コロナで家に閉じこもって、どこにも行かなくても満足感高いや、と思っていたけど、もっと外の空気に触れていろんなことを見聞きするのも楽しいってこと、思い出した。当たり前のことなんだけど忘れちゃうものなのね。
ラッセル先生、ソーセージ製造機のおはなしをありがとう。その瞬間、私の小さな目がいつもより2割増しに開きました。