かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

エセ賢人の黄昏れ

ここにきて、あらためて「“幸福”だな」と思う。「ここ」ってどこかというと、もーすぐ60歳になるよという「今」である。
なにより健康でいてくれる家族、雨風を凌げる家、ちゃんと作った温かい食事。本を読みたければ読み、庭の植物やスズメ、メダカを愛でる。
仕事ではベテラン(!)なので、自分のミッションがそれなりに理解できるし、進め方も自分で組み立てて進めることができるので面白みはある。特に在宅勤務は気に入っている。毎日が静かで穏やかである。

「幸福」について書かれた本とかを読むと、「明日への気づき」より、むしろ「ほんとそーだよね。ふむふむ。」と、自分の“幸福(感)の根拠“探しみたいなことをやってるなあと思えた。


「幸福の何たるかを極めた賢人にでもなったか、私?」などと考えているうちに、ふと「私、何のために生きてるんだろ」などと日記に書きつけてしまった。

スゴロクの上がりみたいな感じで。もうサイコロふらなくてもいいのかな。

 

このごろ観た映画で使われていた昭和のフォークソング「悲しくてやりきれない」をやけに口ずさみたくなる。1968年頃のザ・フォーク・クルセイダースの歌らしい。

 

胸にしみる空のかがやき
今日も遠く眺め
涙を流す
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
だれかに
告げようか

 

不思議だな。幸福を自覚して悲しくなるなんて。過去から続く諦めとか、いつか消えていく儚いものに悲しくなるのかな。

 

早々と黄昏れている?
ある種のモチベーションの低下かしら。