かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

「数学する人生」を読んだ。

本は読んでいる時の楽しさだけではなくて、その本との出会いや、どこかで本同士が、あれあれっ?とリンクしていくのが面白いなあと思う。

 

オリンピックに触発されて、2008年ごろ1度読んだはずの「日本人と情緒」(岡潔著)を再読し、これほどまでに「情緒」の大切さを唱える数学者とはどんな人なのだろうと改めて興味をもった。そこで岡潔の随筆集「数学する人生」(森田真生編)を読んでみた。

 

岡潔がいう「情緒」について。

あまりに深くて理解が及ばないところがあるが、わかりやすい表現で書かれているところを探すと、大宇宙全体の心は「情」、その中の個々の心が「情緒」とある。また、「あれはすみれの花だ。むらさき色だ。」は理性的・知的な見方。「すみれの花はいいなあ」は情緒。そして、なぜ「いいなあ」なのかわからないが、私たちは先験的観念(先天的な?)である情緒で価値判断を行っていると言う。

 

ここで、「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」(山口周著)の中の一節を思い出した。今どきのVUCA(Volatility:不安定、Uncertainty:不確実、Complexity:複雑、Ambiguity:曖昧)の世界での経営においては「論理」と「理性」では勝てない。論理的にシロクロつかない問題について答えをださなければならないとき、最終的に頼れるのは個人の「美意識」しかない。理性ではなく感性が大事なのだと。「感性」を「情緒」と言い換えれば、ビジネスの世界も同じだなあと思った。

 

「わかる」ということ。

何事かに関心を集めている時点で「情的にはわかって」おり、発見とは「情的にわかるもの」が「知的にわかる」こと、というようなことが書かれている。

 

数学の研究がそうなのだろうか。新たな概念や定理の発見というものは、全体が(情的に)わかっているから仮説を立てることができ、その仮説が論理的に証明できる(知的にわかる)ことなのかもしれない。

 

岡潔は、当時(1970年前後?)の公害についても憂えている。

人類の状況はまるで間違えた軌道を走る列車のようなもの。このままでは大変なことになる。地球というところに住めなくなる。欧米の学問、思想は物質が元で心が末。科学的に(五感を使って)きちきちと調べて、この流れを逆向きに変えないことにはしようがない。人類は今くらい無知であることを自覚できる時はないのだから、よく自覚して、あまり慎みのないことはしないように、と。

無知の知」を諭し、心をなおざりにして物質にばかりこだわると地球に住めなくなると明確に警鐘を鳴らしている。

 

だが、この警鐘から半世紀近く経っているが、私たちが乗った列車は「常に右肩上がりの経済成長」行きの終わりのない軌道に乗ったまま加速している。「人新世の『資本論』」(斎藤幸平著)   では、こうした状況を取り上げ、環境危機に立ち向かい人類の歴史を終わらせないためには、無限の経済成長を目指す資本主義に、本気で対峙して脱成長型のポスト資本主義に向けての大転換が必要であると書かれている。

 

自分とは?

 自分とは木、自分の肉体は葉。「自分という葉は、大宇宙という一本の幹の、人類という一つの大きな枝の、日本人という小枝の先に芽生えた葉」。目の前に大きく枝葉を広げる大きな樹が見えたような気がした。そして、幸福は、生きている木から枝を伝わって葉に来る樹液のうちに含まれる。葉だけの個人主義はできやしない。全体あってのもの、と優しい例えで教えてくれる。

また、「人とはその人の過去全てである。人は時の諸内容をエキス化して一所に貯える」。これが情緒である、という。私の前を過ぎてゆく1秒1秒の過去を大切にしていかねば、と思った。

情緒は人を恨んだりすると「濁って」しまう。人が、情緒を清く、美しく、深くするよう努めることが人類の向上だよ、と教えられた。

 

ふー。勉強になったわあ。 

 

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