学生時代にひとり登山で入山口のお宿に泊まったときの話。
早く着いたのでまずはお風呂に行った。誰もいない浴場は外の光で明るくて奥の方の窓辺に大きくはないけど気持ちよくお湯が満たされた湯船があった。
私は小さなイスに腰掛け、湯おけで湯船からお湯を汲んで掛かり湯を浴びていた。
そのとき、カラカラと入口の戸が開いたかと思ったら、オジサンがひょっこり顔を出した!オジサンはすごくビックリした顔で「すみません!」とか言って慌ててすぐに戸を閉めた。確かオジサンは服を着ていたので、女湯・男湯を間違えて入ってきて、まずはどんなお風呂場なのかのぞいてみた、という感じだった。
私の方はというとキャッだかヒヤッだかの吸気的な声と同時に、思わず手元にあった唯一の遮蔽ツールである湯おけで・・・顔を、隠したのだった。
この、まさに「 あたま隠して尻隠さず」はある意味、賢明な反射だったと思う。湯おけ1個、直径25cm程度の面積では胸やお尻やその他を覆うことはできない。あとでオジサンとすれ違うことがあろうとも顔さえ分からなければ、あとはどう丸出しであったとしても、まあよかろう。
もともと私を知らない人たちにとっては顔が隠れていれば、服を身につけていなくても、迷惑な行いをやっていてもそれは私の人格ではない匿名の誰かさん。逆に自分にとっては湯おけの底だけ。人の目もなく、狭い視野が作る自分だけの世界で安心を得ることができる。
匿名だと、素っ裸でもどうにか大丈夫という心情は、顔のないSNSの辛辣な書き込みに通じるところがあるかもしれない。人目がないところでのゴミのポイ捨ても同じことかな。匿名であっても、人目がなくても、どう振る舞うかはその人の良心にかかわることなんだろうなあ。
この頃、白髪を気にしなくなったり、外出の時も髪がぼさぼさだったりするのは、マスクで顔の3分の2が隠れているから、妙に匿名の安心感に浸っているからなのかも。
これは、良心というより、基本的な身だしなみの問題か。。。