かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

カトリック教会の鐘の音

育った町のカトリック教会の鐘の音を思い出した。

カラーン、コロンカラーン、コロンカラーン・・と高く乾いた音色で谷あいの町によく響いた。毎日夕方6時に鳴っていたと思うが、もしかするとお昼と日曜日の朝のミサの時間にも鳴っていたのを忘れているのかもしれない。

 

毎日夕方6時の鐘は、幼かった私たち姉弟にとっては大事な鐘だった。特に日が長い夏は、時間を忘れて遊んでしまう。どんなに夢中で遊んでいようが鐘が鳴ったら家に帰るお約束だった。

一度、弟と一緒に大幅に遅れてしまい、母から玄関ドアに鍵をかけられて二人とも閉め出されてしまった。弟は玄関ドアに向かって、というか中にいる母に向かって、入れてくれと大泣きしたが、母は聞き入れず、諦めきれない弟はそのまま玄関先の階段に座って泣き続けた。私はというと、3つ年上のプライドもあり「はん、そのうち入れてくれるわい」といった不遜な態度で空腹に耐えた。

やがて弟の反省が通じたらしく私たちは夕ご飯にありついたが、85歳を過ぎた母は今も、素直で優しい弟、その反対の姉、と評価しているきらいがある。

 

小学校3年生の時の担任だった小林先生は、黒ブチ眼鏡でつやつやとした黒い髪の、小柄だが筋肉質な感じの男の人だった。小林先生は私たち生徒に何度も「尊敬する人物はシュバイツァーだ」と言っていた。そして、教会の鐘にまつわる話をした。

シュバイツァーが子どもの頃、鳥に石か何かをぶつけようとして、茂みから狙ったその時、教会の鐘がなり、鳥はそれに驚いて逃げてしまった。シュバイツァーは、神が命の尊さを教えてくれたのだと悟り、立派な医者になった。」

 

ある時、私は家の庭で花壇の花にとまろうとしているアゲハ蝶を見つけた。翅を休めた蝶にそおっと近づき、捕まえようとしたまさにその時、教会の鐘が鳴り、蝶は逃げてしまった。私はかがめていた腰を起こして教会の方を見やった。シュバイツァーのお話と一緒だ! 私は、神が命の尊さを教えてくれたのだと悟り・・・・。

・・残念ながら、ちっとも立派な人にはならなかった。

 

高校生になったあたりから、鐘の音を聞いた記憶があまりない。その時間に家に居ることがなくなったからなのか、家から閉め出される恐怖がなくなって鐘の音に注意を向けなくなったせいなのかは、わからない。

 

少なくとも数年前には、教会は建っていた。久しぶりに見たときは、赤いと思っていた屋根がくすんだ茶色に近い色に見えた。アプローチの、長い上り坂は、あっけないほど小さかった。

あの鐘は今も誰かが鳴らしているだろうか。

 

・・・先ほど調べてみたら、アルベルト・シュバイツァー(Albert Schweitzer、1875年生まれ)はノーベル賞も受賞した偉人で、かつての小学生の教科書に「原始林の聖者」などと、逸話も込みで紹介されていたらしい。

シュバイツァーが8歳の日曜日、友人と小鳥を撃ちにブドウ畑へ行った。友人がパチンコで鳥を撃ち落とそうとした時、突然教会の鐘が鳴った。その鐘の音がシュバイツァーの心を動かし、声を張り上げ小鳥を追い払った。」

 

あれ?微妙に違う。

私の記憶ってほんとうにあてにならない。

 

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