かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

赤いお屋根のカトリック教会

実家があった町は、カトリックの方が多い土地柄だった。今思えば、日曜日の朝には近くの教会のミサに家族で行くような敬虔な信者さんも周りに少なくなかったような気がする。古くからそこに住んでいる方々で、いくつかの苗字の家々はほとんどカトリックだった。隠れキリシタンの末裔なのかなと勝手に思ったりした。

 

その近所の教会は、横長の白い円筒の上に平べったい円錐形の赤い屋根が乗り、その上に、細い円錐形の構造物、そのてっぺんに十字架がついた可愛らしい作りだった。細い円錐の内側には鐘が吊るしてあって、中の人が天井から降りているロープを引くと鐘が鳴る仕組みのようだった。「ようだった」というのは、実際に見たことはないからだ。

 

建物の1階は私が通っていた幼稚園、外の幅広い階段から直接入った2階が教会だった。幼稚園は真ん中にホール、ホールの一番奥に舞台、ホールを取り囲むように部屋が配置されていて、左側が2年保育「年長さん」のハト組みの教室、右側に私がいた1年保育のカナリヤ組の教室があった。なぜか「年少さん」についての記憶は全くない。ヒバリとかインコとかいう名前のクラスがあったはずだとは思うが。

教会の方は、奥に祭壇があり、壁の高い所にキリストの磔刑像がかかっていた。入り口を入ってすぐに後ろを見上げると中二階があって、両側の細い階段から登って行くようになっていた。

 

中学生の頃だったか、私はキリスト教のクリスマス・イブのミサがどんなものなのか見たくて、寒い夜だったが近所の人に母から頼んでもらい連れて行ってもらった。中二階の席に座って、暖かく明るい室内のクリスマスらしい飾りや白いベールをかぶって祈る信者さんたちの並んだ背中を眺めて過ごした。子どもたちによるイエス・キリスト誕生の寸劇も演じられた。弧を描く壁にうまく反射するのか、神父様の祈りの声が心地よく且つ神聖な澄んだ歌のように響いていた。私も歌詞カードを渡されて、たぶん「いつくしみ深き」などの賛美歌を数曲、ほとんど口をぱくぱくさせているだけだったが一緒に歌った。

 

幼いころから身近で見てきたキリスト教は、近所のおばちゃんやお姉ちゃん、ガキ大将の普通の「暮らし」だったが、このあと読んだ三浦綾子の「塩狩峠」「道ありき」や遠藤周作の「沈黙」は10代半ばの私にはあまりにも壮絶で重い「信仰」の姿だった。

 

幼稚園の話に戻る。幼稚園では日々みんなで声をそろえて「めでたしせいちょうみちみてるまりあしゅおんみとともに・・」と意味もわからず大合唱していた。調べたら、これは「天使祝詞」というもので「めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、・・」というお祈りであった。当時、胸の前で手を合わせ大きな声で唱えている暫しの時間、意味は分からなくとも、何かに感謝しているような漠然とした思いはあったように思う。

ホールに集まるときや遠足に出かけるときは、先生の「よーいこ、おならーび」のリズムに合わせて、ぽんぽんと手をたたいてそのまま「小さく前にならえ」を繰り返す。私はいつもすぐにおしゃべりを止めて素直に並ぶ、とても「よいこ」だった。

5歳の頃の意味不明な言葉やリズムが50年ぶりのアクセスでもよみがえるとは、なんとも不思議だ。その後も、実家を離れるまでの間、この赤いお屋根の教会のある町で見聞きしたり思ったりしたことが、私の無意識の中に何かの形で眠っていて、時々アクティベートされるのだろう。

私は今だって、バス停やレジの前にくると、ソーシャルディスタンスで大人しくお並びする、とてもよいこだ。

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 穏やかな暮らしへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 50歳代へ
にほんブログ村