いつも快活、リアクションも大きく元気いっぱい、初めての人とでもよくしゃべる、わいわいと賑やかな場で大きな声で笑っている、というのが一般的な私のイメージなんじゃないかなと思う。自他ともに認める「外向的なひと」といったところ。
この1年、コロナ禍で、外に出て回ることが激減し、人との接触も減り、お家で静かに過ごす時間が増えた。さぞステイホームは辛かろうと思ったが、ちっとも苦ではなくて、逆に心地よいということに気づいた。ストレスも激減だ。
なんとなく「内向型人間のすごい力」(スーザン・ケイン著)と「ハーバードの心理学講義」(ブライアン・R・リトル著)をパラパラと再読(相互に著作のことが出てくる本をたまたま選んで持っていたのも何かのご縁かしら)。載っているチェックリストでパーソナリティ特性をチェックして、結果に手を打った。おお、私は内向型だったのだ!
以前読んだ時にはあまり腑に落ちなかったのだが、パンデミックでこれまで経験したことにない状況にさらされたことで初めて、「自然な自分」を見ている感じだ。
「ハーバードの心理学講義」に載っている 「ビッグファイブ」テストはパーソナリティの主要な因子、つまり「誠実性」「協調性」「情緒安定性」「開放性」「外向性」の5つの尺度をわずか10個の質問の答えではかるものなのだが、3年前にもやった私の結果メモと比べて外向性のスコアが低くなっていた。
リトル先生によると、パーソナリティは遺伝的な影響もあって、長期的にはあまり変化しないが、内側の「私たちがその時に追い求めているもの」と外側の「私たちが意識的・無意識的につくりあげている”他者から見た自己”」のイメージで構成されており、この二つの現実が交じり合う場でつくられ、修正され、再構築されるらしい。
これまで性格診断なるものをやってみて「外向的」というような結果を見るたび「やっぱりね。私ってそーだよね。」と思っていたが、そう見られたい自分、そうあるべき自分が回答していた結果だったのかもしれない。
さらにリトル先生によると 、内向型の人が外向型のふるまいをするなどの、普段の自分のキャラクターから外れた行動に導く「自由特性」というものがある。このような行動ができる理由のうち重要なのは「プロフェッショナリズム」と「愛情」なのだそうだ。
かねがね「私はプロの社畜だなー」と思っていたのだが、なんとなく辻褄が合った気がして、ニヤリとしてしまった。 ケイン先生も書いているように会社のようなところでは外向的な方が好まれる。ずっと自分は外向型だと疑わず、そんなふうに振舞ってきたが、そう導いたのが内向型の私のプロフェッショナリズムだったとは。
リトル先生いわく「長期間にわたって本来の自分と違うキャラクターを装うと、心身に負荷がかかることがあるのです」。
なるほど、30年以上やっていると疲れるはずだ・・・。