かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

夫くん、元気にご活躍

夫は技術者である。30数年勤めた会社をちょっと早めに退職して、現在は再就職先で嘱託社員として毎日フルタイムで働いている。

もといた会社でやってきた専門技術を活かした再就職なので、本人もまずまず納得している様子だ。日々、外部からのお客様をお迎えして技術的なサポートをやっている(?らしい)。

 

ときどき、元気にお仕事してるかなあと思って「今日のお仕事、どーだったあ?」と聞いてみたりする。企業機密的に当たり障りのない話に混じって、先日は「トイレのペーパータオルが無くなりそうだったので補充した」とのこと。よくある事らしい。更に「ときどき石鹸液が無いときは入れてるよ」と。

 

トイレの掃除や備品の補充をやってくださる業者さんはいらっしゃるらしい。が、夫はトイレに行ったとき、ペーパータオルや石鹸液の残量が少ないことに気づいて(家でもそうするように)、保管場所から予備を出してセットしているんだろうなあ。忙しくても、いつものように、次に使う人のことを思って、ごく自然にそうしているんだろうなあ。

「偉いなあ」と感心すると「たかが紙、されど紙さ」。トイレのペーパータオルがちゃんと補充されていることはお客さまからの信頼につながる、と考えているらしい。

 

うーむ。夫は歴史に名を刻むでもなく、お家柄がよろしいわけでもなく、社会的な地位が高いわけでもない。でも、ひとりひっそり黙々と(家でもそうだけど)doing small things。こんなとこ、実はとっても尊敬している。

 

アドラー心理学のことを思い出した。「ゴミが落ちていたら拾ってゴミ箱に捨てるのが正しいとわかっていても、賞罰教育を受けて承認欲求を持つようになった子供は、拾ったところで誰にもほめられないのなら、拾わなくてもいいと思ってしまう」。私自身は、ともするとパフォーマンスやりがちなこっちの人間だなあと思う。

 

ちなみに夫は、朝からお客さまのお昼のお弁当の注文もとるそうだ。「これ、大事」と言っていた。専門と違った分野でも、いろいろ元気に活躍してるなあ。

でも、どんなにイイ事をしていても褒めてはならないのだ。アドラー先生によると。

 

kazesoratori.hatenablog.com

 

 

 

 

寒い朝の湯沸かし器

寒い朝、キッチンに立って暖かいお湯に手を濡らすと、実家の冬の朝を思い出す。

 

高校生の私は、朝早く学校に行って自習するのが好きだった。というか、部活で疲れて夜は眠くなってしまうので早朝の教室が唯一のお勉強タイムだった。

 

朝まだ暗いうちに、起きて台所に行くと、母が背を向けて忙しそうに手を動かしている。早くから起きて私と中学生の弟のお弁当と、朝ごはんを作ってくれている。

時折、「湯沸かし器」のつまみをひねる音に続いて、大した湯量はないけど細い管を通って激しく吹き出すような音が響く。

がっしゃん、ごー、じゃわわわわわ

こうなる前に種火をつける作業もあったっけ。

がっちゃん、がっちゃん、こぉぉぉー

 

もともと我が家の蛇口からお湯がでる仕組みなんて無くて、流し台の上に邪魔にならないように縦に板を渡し、そこにパロマガス湯沸かし器を取り付けていた。

 

冷たい水で顔を洗うのが辛くて・・・いや、その頃のわたしは顔のニキビが重症だったからだ。それで、しっかり洗うために、料理している母の横から洗面器を差し入れ、お湯を入れてもらって洗面台にそろりそろりと運んで使った。少しでもアブラっぽさが取れるように。

 

湯沸かし器の騒々しい音、青い炎。お味噌汁の匂いに混じった暖かい匂いは、石油ストーブ。

部屋の中に炎はあるけど、不完全燃焼の心配はない。隙間だらけの家に酸素はじゅうぶん補給されていた。

 

今は毎朝、ヒートポンプで沸かしたお湯のタンクから、蛇口をひねるだけで(あ。ひねることもしないな。レバーを上げるだけで)、さあああっと気持ちのいい軽い音と共にたっぷりのお湯が出てくる。

寒い朝のお湯という贅沢。

何と幸せなことよのう、と昭和の郷愁に浸る。

ソーセージ製造機のおはなし

B・ラッセルの「幸福論」(角川ソフィア文庫)を読んだ。

何と読みづらい本(翻訳が?)であるか!「私はかつて、その幼少時代に両脚の使用をうしなってしまった一人の男を知っている。」は「両足が不自由になってしまった一人の男」でいいと思うが。


と、いう本なのだが、ある章で「おやや!」と耳にとまり、道端でつい立ち止まってしまった(散歩中にKindleの読み上げ機能で聴いていた時だった)。


むかし昔、あるところにあった二つのソーセージ製造機の話。

 

かいつまんだ概要が本の最後の解説(小川仁志)の中にあったので引用すると

ソーセージ製造機は、豚を取り込んでソーセージを作るから幸せなのであって、いくら熱意をもっていても、それを自分の内部のみに向けていると、幸せにはなれないのです。自分はいい機械だと思い込むだけでは、何も生み出せませんから。


外から豚肉を取り込まず、自分の内部のことばかり気にしてるソーセージ製造機?

 

このところの私の穏やかな日々は、いろんな刺激を遠ざけ、場合によってはシャットアウトして生じたとも言える。人と接触しなければ心が刺々しくなることもない。政治やネガティブなニュースも心がざわざわするから知りたくない。

 

別の章にあった幸せではないパターン「理性による厭世」にも近いかもしれない。

 

外からの刺激を遠ざけることは「何も食べないこと」と同じだなと思った。体に良い食べ物を選んでも食べるように、いい刺激を選んで(ソーセージ製造機で言えば良い豚肉)自分に取り入れていくのは、大事なことなのかもしれないな。

コロナで家に閉じこもって、どこにも行かなくても満足感高いや、と思っていたけど、もっと外の空気に触れていろんなことを見聞きするのも楽しいってこと、思い出した。当たり前のことなんだけど忘れちゃうものなのね。

 

ラッセル先生、ソーセージ製造機のおはなしをありがとう。その瞬間、私の小さな目がいつもより2割増しに開きました。

文字通りの・・・

久しぶりに仕事でやらかした。上司たちも「む」という表情だった。

私の理解や配慮が足りなかったなあと一応反省し、大人らしく「申し訳ありませんでした」と謝る。挽回策を提示する。

 

それなりにモヤモヤとストレスも感じたし、凹んだ気もした。

 

帰宅した夫くんにそのことを話した。

ー 会社でやらかしちゃった。

― え?おならでも漏らしたの?

 

― 真面目に話してるのに、なんで「おなら」なのよ〜!

 

ー だって、言い方が「おなら出ちゃった」っていう時と同じ感じだったから・・・。

(家庭内で、つい漏らしちゃった、てへっ、ゴメンって時のリアクションである)

 

むむ・・・。

 

凹んだように見えて、実は、文字通りに「屁でもなかった」ってことだったのかしら。

 

屁(へ)でもな・い

問題とするに足りない。何でもない。非常にたやすい。「あんな相手は—・い」

(デジタル大辞泉)

 

私、仕事をナメてる?無意識に?

私のご報告の口調で、夫くんにはそのへんお見通しのようだ。

エセ賢人の黄昏れ

ここにきて、あらためて「“幸福”だな」と思う。「ここ」ってどこかというと、もーすぐ60歳になるよという「今」である。
なにより健康でいてくれる家族、雨風を凌げる家、ちゃんと作った温かい食事。本を読みたければ読み、庭の植物やスズメ、メダカを愛でる。
仕事ではベテラン(!)なので、自分のミッションがそれなりに理解できるし、進め方も自分で組み立てて進めることができるので面白みはある。特に在宅勤務は気に入っている。毎日が静かで穏やかである。

「幸福」について書かれた本とかを読むと、「明日への気づき」より、むしろ「ほんとそーだよね。ふむふむ。」と、自分の“幸福(感)の根拠“探しみたいなことをやってるなあと思えた。


「幸福の何たるかを極めた賢人にでもなったか、私?」などと考えているうちに、ふと「私、何のために生きてるんだろ」などと日記に書きつけてしまった。

スゴロクの上がりみたいな感じで。もうサイコロふらなくてもいいのかな。

 

このごろ観た映画で使われていた昭和のフォークソング「悲しくてやりきれない」をやけに口ずさみたくなる。1968年頃のザ・フォーク・クルセイダースの歌らしい。

 

胸にしみる空のかがやき
今日も遠く眺め
涙を流す
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
だれかに
告げようか

 

不思議だな。幸福を自覚して悲しくなるなんて。過去から続く諦めとか、いつか消えていく儚いものに悲しくなるのかな。

 

早々と黄昏れている?
ある種のモチベーションの低下かしら。

家庭内隔離訓練

今週の月曜日、先週金曜日にずっと一緒だった若手くんが朝から40度の熱を出したと連絡を受けた。その日の私の出張は駅の改札口の前で中止にして家に戻った。

PCR検査の結果は翌日か翌々日にわかるという。

 

1日中マスクをしていたし、おしゃべりしながら食事をしたわけでもないが私も感染している可能性がないとは言えず、検査の結果がはっきりしないうちは家庭内隔離体制をとる事にした。

 

いつもの在宅勤務は“食卓オフィス”でノートパソコンとモニターを使ってやっているが、ノートパソコンのみ持って自分の勉強部屋(と呼んでいる部屋)にこもった。会社にいる夫に連絡して、帰ってきたら私が触れたドアノブや食器棚、冷蔵庫の扉などをアルコールで拭くこと、食事は私が作るわけにはいかないので、コンビニ弁当を買ってきてほしいこと、夜も勉強部屋で寝ることなどを伝えた。

1、2日だからソファーで毛布でもかぶって寝たらいいやと思っていたが、夫がお客さま用の布団を引っ張り出しシーツやカバーをつけて隔離部屋のドア前まで運んでくれた。

 

結局、火曜日の夕方になって「陰性だった」と連絡がありほっとした。が、40度の発熱で陰性というのが俄かに信じられず、念のためもう一泊、水曜日の夕方まで隔離体制を維持した。万一、訂正があってもいいように(用心深い夫婦である)。

 

というわけで、図らずも、片方が感染して自宅療養するシーンをシミュレーションすることができたのだが、ケアする側の負担がとても大きいこと、目に見えないウイルスにどこまで神経質になればいいのかわからない同士でイラつくことなどの気づきがあった。

 

また、金曜日に訪問したお客さま、特に応接室でご対応してくださったお客様には申し訳なくて。発熱した若手くんも、私を含む誰かにうつしてしまったのではないかと心配でたまらなかったようだ。コロナウイルスの感染を世の中おしなべて「ただの風邪」と認識しない限り、社会人としては感染した時の精神的負担が半端ないと身に染みてわかった。

 

さて。今回の私は全く体調に問題なく、ただ用心して部屋にこもっていただけ。

床に敷いた布団の、久しぶりの綿の掛け布団の重さがなんとも心地よく懐かしかった。幼い頃の熱が出て学校を休んだ日を思う。ゴムの水枕、すりおろしたリンゴ、たまご粥に梅干し・・・。

と、私が郷愁にひたっている間にも、隔離部屋の外では会社から帰った夫くんがひとり家事や消毒でばたついていた。大事に至らなくてよかったが、巻き込んでしまい誠に申し訳ないことであった。

またも、ちょっと前の近況(感謝とか好奇心とか)

このたびの入院で、心配してくれた家族、友人、そして、お仕事で迷惑をかけた(かもしれない)会社の方々には深く感謝申し上げたい。

何より私の無事を一生懸命祈ってくれた夫くん。たかだが抜歯。でも、もしものことがあったら・・・。そんなことを考え始めたら怖くて震えが止まらなくなりそうで極力考えないようにした。夫くんの方も私が何かと良くない想像をして怖がっているのではないかと心配してくれていたらしい。

 

でも・・・周囲の心配をよそに、初入院は好奇心をそそって止まない体験でもあった。

 

看護師の皆さんの24時間体制のお仕事に初めて触れた。ほとんどが若い女性だったが彼女たちが背負う責任、信頼、そして献身などに敬意を覚えずにいられない。一方、毎日2人組で担当してくださるのだが、妙に個性(バラつきとも言える)があって面白いなあと思った。

 

外来担当、麻酔担当、執刀医と言った医師たちも思いのほか若くて、短い会話だったが人間的な魅力を感じる人たちだった。女性のお医者さまはみんなマスクからのぞく目もとも涼しくシュッとしていた。おひとりだけ、私と同じ歳の女医さんもいて、年の功というか、おばさまの安心感というか「ダイジョウブよ!私たち、まだまだ体力あるから!」と言われて「私たち」に苦笑した。

 

退院してからしばらく、不思議な感覚だった。胸が痛くて苦しかった。心臓や肺がどうしたというわけではなくて、遥か昔に感じたことがある「恋」の痛み、まさしくそれだった。なんて素敵なの!もっと一緒にいたい!もっと知りたい!・・・大学病院という巨大なシステムを。

病室に来る看護師さんはいつもワゴンと一緒である。ワゴンには医療用のいろいろと共にノートパソコンが載っている。きっと、私の全て(カルテ、医療計画、お薬、様子、発言などなど)が登録され院内で共有されているのだと思う。システムの中でたゆたう私のデータたち、医師、看護師、薬剤師などの役割と役割をつなぐ見えない糸。間違いが許されない世界のシステマティックな仕事・・・に、心が震えたのであった。

 

1日に診察の予約が3000人近く、入院の手続きをする人が300人近く。直接、治療にたずさわる方々のほか、お掃除やお食事、事務の方々合わせると、一体どれほどの人が関わっていることか。今日もまた、あの巨大なシステムが人の命のために稼働しているかと思うと胸がジンとなる。

 

1月に入って新型コロナの感染がまた拡大する中で、医療に関わる方々に心から感謝とエールを送りたい。