かぜ・そら・とりのブログ

気ままに、のんびり。

旅の途上

会社でよく雑談相手になってくれている女子にいわれた。
「多趣味ですね。」
「へ???」
「なんかいろんなことやってますよね。」
そう言われてみると・・・。決して多趣味ではないけれど・・・。

 

数年前のもうすぐ定年という頃、「無趣味」に焦りを覚えていた。会社員になって以来、平日は仕事で疲れ果て、ともすると土日はぐったりぼんやり過ごしてばかり。即ち、プライベートを彩る「趣味」というものとは縁遠かった。ある時、何かの読み物で、老後に引きこもってボケないために大事なことはキョウイクとキョウヨウだと知った。

 キョウイク:今日、行くところある
 キョウヨウ:今日、用がある

こりゃイカン!!と無趣味な社畜は考えた。

 

そう意識した成果なのか、仕事が楽になったおかげなのか、なんとなくプライベートはめでたくも忙しくなってきた。夫くん(私以上に休日はぐったりしてちっとも動かない人だった)も非常勤勤務となったことから、一緒に音楽を習う(ピアノと歌)、プールに行く、ウオーキングのイベントやドライブ旅行に出かける。私は加えて、お菓子を焼く、町内のバドミントンクラブに行く、楽器に触る(まだ「練習」のレベルにも到達していない)、おっと、忘れるところだった、ブログを書く。更にこの4月から通信制で勉強を始めることにした。

 

でも、「趣味」とはいいがたい。なんでも「やってみないとわからないな」と思って、ふと好奇心がくすぐられたことには足を踏み出してみることにしているだけ。案外忙しく、もちろん楽しいのだけど「三度のメシより好き」という熱量はない。このままつまみ喰いで終わるかも。

まあ、いいか。行くところと用事は何かと増えているのだから。


運命の趣味との出会いを求めて、私の趣味探しの旅はまだまだ続いていくのであった。

 

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復活の日

3月31日、夫くんとふたり、4月からスポーツジムの月契約を復活する手続きをした。

以前は月会員で、会社帰りに週に2-3回(夫くんは多い時にはほぼ毎日)、主にプールで水中ウオーキングやクロールもどきをやってお風呂に入って帰っていた。コロナ禍の時に都度会員に変えて、そのままこの3年、一度も行くことがなかった。

それが影響したのかわからないが、私の股関節痛が悪化。整形外科に通っていたが、今ひとつの成果。それならば、と整体に行ってみたが効果がわかる前にあまりにも高価で撤退。そして今は別の整形外科のリハビリにぼちぼち通っている。

今回の復活に際して、夫くんが随分と積極的だった。このごろ自分自身がちょっと血圧高めなのも、プールに行かなくなったせいだと考えているのだと思っていた。
ところがそれだけではなかった。「股関節のことがあるから、ことりちゃん(私)を連れて行ってあげたいんだよね。犬の散歩みたいに」と、なんだか“飼い主の義務”的に有難いことを考えてくれていたらしい。

月会員のお値段は御多分に洩れず以前より高くなっていた。しかし保険が効かない整体のお値段や何度も通うリハビリ代と比べると割安なのではないかと思えてきて、数年ぶりにジムに足を運んだ次第。

建物に一歩入るとプールの塩素のにおいが懐かしかった。手続きを待つ間、夫くんがいつになく高揚した感じで言った。
「この匂いをかぐとワクワクするね! 前みたいに元気になりそう!」

そうだね、きっと元気になるよね!夫くんは私たちの衰えや痛み、即ち老化を思いのほか気にしていたんだなあ。

改めて、健康は日頃の心掛けや努力だと肝に銘じよう。そしてお金もかかるときはかかるモンだが、不健康で病院通いするよりよっぽど安いモンだと。

 

心配事がひとつ。この頃の水着ってどんな?数年前の水着がものすごく古めかしい感じだったら女子としてはちょっと恥ずかしい。

心配事、もうひとつあった。夫くんのよれよれ過ぎるパンツ。人前でのお着替えに耐えうるものではない。新調せねば。

 

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身辺整理

会社のOutlookで明日3月29日の午後に3時間ばかり「身辺整理」と予定を入れていたら、職場の若者が怪訝そうにきいてきた。
Sくん「これってどういうことですか?」
Tくん「ぼくもきこうと思ってました!」

「え?期末のお片付けだよ。要らない書類で机の周りがちらかってるから。」と答えたら「なーんだ」と言って笑った。期待した(?)答えではなかったようで、「ややこしい表現、するんじゃねーよ」と言いたそうなご様子で。

 

この春の異動で、気がつけば部メンバーの若返りがすすみ、部内の管理職のうち2人が50代前半だが、あとは20代、30代。おまけに4月には新入社員が1名配属されるという。ふと同じフロアの隣の部を見ると、そちらも同じような年齢構成になっている。
会社全体では高齢化が進行している中で、なんの戦略かは知らないがココには若手が多めに配置されているようだ。
嘱託のセンパイが昨年末に退職されて、60代は私だけ。時節柄、年齢的にいわゆる“身辺整理”もありなん、てことでSくん、Tくんから質問があったということだろう。


日頃、若者たちの考え方とのギャップに驚くことがしばしばある。嘱託の身分ゆえかストレスにもならず、程よい刺激であり、若者たちとお仕事できるなんてありがたいことだなあと思う。それに、若者からは時折「結婚します」とか「子どもが生まれました」とか、めでたい報告がなされる。私までHappyのお裾分けをいただいているような気がする。

 

ともかく、来週はもう4月。嘱託2年生のスタートだ。

新入社員くんが「どーして職場にこんなおばーちゃんが?!」と衝撃を受けないことを願うばかりである。
せめて「おばちゃん」と言われたい・・・。そのためにも、まずは明日しっかり身辺を整理して、来期もちゃんとお仕事がんばろっと! (←若者が60代嘱託社員のモチベーションアップに一役買っている事例となっている・・・)。

子どもが好きか?

子どもが好きか?と問われたらなんと答えようか。幸いにも(?)そう私に問うてくる人はいないが。

 

Mちゃん(約60歳)はボランティアで子どもたちのためのフエルト人形を作ったり音楽を通して子どもたちと触れ合っている。「あたし、子どもがだぁ〜い好きだからぁ」と満ち足りた笑顔。
Tちゃん(約50歳)は「わたし、子ども嫌いだったんですけど、妊娠したら子ども好きになったんです」。で、学童保育に関わるお仕事を続けているそうだ。

「子どもが好き」って、どういうことなんだろ。
見ているだけで癒される? 可愛い? 楽しい? 総じて幸せな気持ちになるってことかな。じゃあ、この「幸せ」って? 慈愛の心による自己肯定感? 人類への貢献感? 未来への希望?


ちょっと前、Xで見かけた記事(元ネタははてなブログだったかも)が心に刺さっている。自分の子どもがいないと未来の時間は自分が死ぬまでの時間でしかない、と。
「子ども好き」と自認するMちゃん、Tちゃん(どちらも2人のお子さんのお母さん)は自分の子どもの未来と一緒に全ての子どもの未来に想いを馳せながら善き行いをしているのだろう。
一方で私は子どもを持ったことがない上に、元来利己的な人間だからなのか、昨今の政治や環境問題、国際問題を見るにつけて「日本よ、あと50年もってくれ」と思う。


たぶん、いや、”確実に”私は「子ども好き」ではない。子どもを見るたびに微笑むようなことはないし、ましてや泣いている子どもを見ると「子どもに生まれなくてホントよかったわ」と密かに毒づく。ヒトの子どもより、小鳥や仔犬やイルカたちのほうに愛おしさを感じて頬が緩む。


そんな私だが、20数年前、私にとって初めての甥っ子が誕生したとき、明らかにそのへんを走り回っている子どもに対する感情とは異なる、何か今まで感じたことのないものが胸に広がった。もしかして私はコイツに「愛情」を感じているんじゃないか?とその時思った。そして「これが血のつながりというものか!!」と。
甥っ子の顔は私に似ている。実の母親(私の義妹)を差し置いて親子のように似ている。甥っ子のことを思うと、「日本よ、更に50年ばかし平和で穏やかな国であってくれ」と願う。甥っ子の子や孫を考えると、もう100年、もう200年・・・。

 

甥っ子はとうに成人して、もう子どもじゃないけど、私の「未来の時間」がこの甥っ子によってちょっと先まで伸びたってことだなあ。

 

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3本の樫の木

子どものころ庭にあった一本の木のことにふれた話を読んで、実家のことを思い出した。

小さな平屋、僅かばかりの芝生と植栽の庭。南のへりに背の高い樫の木が3本。真ん中が私の木、右側が上の弟の、左側は下の弟の。植っている木を勝手に姉弟でこれが自分の木だと決めていた(末の弟の分は余っていた左側があてがわれたにすぎないが)。

あの木たちはどうしているだろう。両親は2019年の秋にそれまで住んでいた家を手放して、私と弟が住む町に移り住んだ。それ以来、近くに行ったことはない。

すごく気になってGoogleMapの航空写真で実家があったあたりに指を置き、くいっと拡大してみた。あった。かなり解像度は低いが、家の形や緑色の庭がわかる。くだんの樫の木は・・たぶんこれだ。南側に並んだ3つの緑のかたまり。元気で植っていてくれていた!

芝生に伸びる木の影を見るに、撮影されたのは、よく晴れた日の朝だと思う。洗濯物が干してある。すでに家主が変わったあとかと思うが、見ていると、この屋根の下に、母と、まだ生きていた頃の父がいるような気がしてきた。
母は色えんぴつ画の練習か、手紙でも書いている。父は本を読んでいる。両親は、時折、会話を交わし、明るい庭を見ながらお茶を飲み穏やかな1日を送っている。
もう2度とやって来ない過ぎ去った時間。

映画メン・イン・ブラックの一場面を思い出した。トミー・リー・ジョーンズ演じる「K」が、秘密組織のエージェントであるが故にもう会うことが許されない恋人の家や姿を宇宙からの監視映像で見ている。切なかった。

 

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あ。そうか。

夫くんとバスを降りて夜空を見上げた。よく晴れた冬の星空。オリオン座をはじめ、白く輝く星々がくっきりと見えた。
「すごいよね。あの星の光って何百年も前に発せられたなんて信じられないよね!」。夫くんも「ほんとだね」と改めて夜空を見やって呟いた。「太陽も誰かから見るとあんなふうに見えとるんやね」。

あ。そうか。考えたこと、なかったなあ。

何光年も向こうの宇宙のどこか。誰かが夜空を見上げたその先に太陽という恒星が小さな点となって白く輝いているんだね。

そこから私たちの惑星は見えないだろうけど、その小さな光の点の周りを回りながら、ほんの僅かな時間だけヒトという形で化学反応やっているのが私たち。


ちなみに、天空のオリオンさんの右肩にあたるベテルギウスの光は1400年頃つまり室町時代あたりの光なのだそうだ。肉眼で見える天体には250万光年離れたものもあるらしい。250万年前に発せられた光?!気が遠くなりそうだ。

 

このとき、オリオン座は低い位置にあった。「冬の星座はだんだん見えなくなっていくね」と私が言うと、「裏側に入っていくね」と夫くん。「え?」「だから夏は昼間に出てるはずだよ」。

あ。そうか。

昼間も空に星は出ているんだ。青空の向こう側は宇宙だったね。

 

同じ夜空を見ていても、夫くんが思っていることって「あ。そうか」と、いちいち、ちょっと面白い。

 

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彼女は怒っていた。

高校の同級生3人とランチした。Mちゃんが、ねえねえ愚痴なんだけど聞いてくれる?と語り始めた。Mちゃんは怒っていた。
Mちゃんは50代後半から卓球を始めた。始めたての頃に出たダブルスの試合で、負けた後にペアを組んだ人に「Mさんの方がミスが多かったね」と言われたらしい。

(ちなみに、ここまで聞いた時点で私のリアクションは「で、事実はどうなの?」であり、人格者であるHちゃんの方は「上手下手なんて関係ないよね」とMちゃんの気持ちを汲んだものだった。)

 

ミスが多いと言われたことでMちゃんは凹んだが、上達を目指して猛練習を続けた。その入れ込みようは私たちもよく知っている。そうなったキッカケの一つがペアからの一言だったことは、この時知ったのだが。

先週、Mちゃんは久しぶりにその人とダブルスを組んで試合に出た。試合に負けて、そしてまた同じようなことを言われ、激怒するに至った。さすがに相手もMちゃんの怒りを悟り謝ってきたがMちゃんは許せないらしい。
「この数年の努力を否定されたような気がして」と。

 

なんと羨ましいことか。
Mちゃんは本気で卓球に打ち込んだのだ。まさに悔しさをバネに全身全霊をかけて。

それに引き替え、私はいつも「なんとなく」やっている。だから、負けてもあまり悔しさを感じない。そもそも本気で努力していないので「努力を否定された」と怒りの感情も湧いてこない。

会社の後輩のYさんもそうだ。彼女は仕事がらみで悔しくて泣く。自分の仕事を上司から理不尽に否定された時、悔しさと怒りで涙をこぼす。Yさんも本気で力を尽くているのだと思う。


MちゃんやYさんのひたむきな心の熱量や感情の爆発が羨ましい。薄っぺらでテキトーな私と比べて人生の濃度がものすごく高いと思う。

 

高校時代、私とMちゃんはバドミントン部でダブルスのペアだった。
今にして思う。Mちゃんは、中途半端で根性無しで闘魂乏しい私に練習の時も試合の時も声をかけ勇気づけ頑張ろうと引っ張ってくれていたんだ。熱意足りていなくてごめんね。そして、今も大事な友だちでいてくれてありがとう。